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同窓会と楽器博物館 [尺八雑談]

8月14日(土)中学の同窓会に誘われて田舎に帰省しました。
お盆のど真ん中なので道路は混むし、実家はお寺なので忙しいというこの時期は先ず避けるのですが、同窓の幹事の方より余興として尺八演奏を頼まれたので二つ返事で出席と相成りました。
14日早朝4時頃家を出発したら、東名高速道路は空いていて順調に静岡県入り、途中牧ノ原サービスエリアで大雨になり朝食をゆっくりといただきました。
磐田市に着いて駅近くのホテル駐車場に車を置き、会場の醍醐殿宴会場へ向かいました。猛暑の夏でしたが、ここ遠州地方は平らな地形に加え海からの風が吹くので東京よりは暑さは感じません。余興の打ち合わせのため1時間前に会場入り、幹事の坂口さん佐藤さん長谷川さんと打ち合わせをします。皆さん地元磐田市の公務員や学校の先生で頑張っています。

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この同窓会はクラス単位ではなく学年全体で行うもので10年おきに開催されてきたそうですが、一昨年の3年5組同窓会と同様昭和45年卒業以来の再会となります。しかし幹事のご苦労の甲斐無くあまり集まらず60名程度の参加となりました。

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受付近辺にはもう出席者の顔が並んでいますが遠目にはまったく誰なのか判別できません。自分もそうですが頭の白いおじさんおばさん達の姿は年月を感じさせます。やがて昔の顔を思い出して苦笑い、相手もこちらを思い出しながらニヤッと笑う。顔と一緒に昔の学校の出来事がオーバーラップしてスローモーションで現実と回想が混ざり合う不思議な再会の瞬間が同窓会の醍醐味ですかね。

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会場は1組から5組まで組ごとのテーブルが用意されていて、当時の担任の先生が来られるのですがもうお二人は亡くなっており、お盆という時期でさらにお二人が法事で欠席、来られたのは1組の坂本先生と音楽の長谷川先生のみというちょっと残念ではありました。
しかし乾杯後、料理と酒と昔話で会場は一気に賑やかになっていきました。
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校歌を全員で唱和、覚えているもんですね。

先生のお話、ビデオ映写、近況報告などの後、余興と言うことで私の出番となりました。尺八というマイナーな楽器でどうやって宴席を盛り上げようか考えまして「流行歌で綴る卒業後」と題してその時その時に流行った歌をダイジェストで吹いて構成してみました。卒業した昭和45年は「走れコータロー」二十歳の成人式時には「シクラメンのかおり」私の結婚翌年が平成に年号が変わり「川の流れのように」21世紀となった西暦2000年には「孫」実際早い人はもう孫がいました。そして締めに「遠くへ行きたい」と20分ほどの独演会になってしまいましたが皆さん喜んでくれたみたいでアンコールまでいただきまして、ありがとうございました。その一部を聞いてください。

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宴会は2次会へと移行し、組を離れて様々に話が飛びます。私、朝早い上に尺八の演奏で一気に酔いが回り、かなり酩酊状態でこのあたりからあまりよく覚えていません。
午前中から始まった宴会で5時頃お開きとなり、そのままホテルへ帰ってしばらくは寝ていましたね。
楽しいひとときでした、良い夏休みでした。

楽器博入口jpg.jpg楽器博太鼓.jpg
入り口ロビーに展示されている台車に乗った太鼓

翌日、15日は帰省ラッシュが終日ありそうなので今日は姉の所へ泊まることにして、せっかくの休日をフルに楽しみました。先ずは浜松の楽器博物館へ行ってきました。

浜松在住で尺八演奏他音楽のお仕事されている本司真山さんを無理してお呼びし、いろいろガイドしていただきました。この楽器博物館の設立に関していろいろとアドバイスもされたと聞いております。
本司さん.jpg
アジア展示.jpgオルガン.jpg
浜松はヤマハ創業の地、初期のオルガンが多数展示されています。

博物館に入ったフロアーはアジアと中近東の楽器、他に体験コーナーや特別展示の部屋があり、階下にヨーロッパの楽器、ピアノのコーナーなどが展示されていました。
中でも日本の楽器コーナーはもちろん尺八がお目当てですが、手にとって触れるわけではないので演奏者・製作者としては少し物足りないのはしょうがありません。カタログも別に販売しておりかなり貴重な尺八がありそうです。

邦楽器全景.jpg尺八陳列.jpg尺八写真.jpg
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体験コーナーには箏が置かれていました。

博物館の楽器を使用した演奏会、他に特別展示会などもあり尺八もその時には倉庫からいろいろと出されるそうなのでまた機会を見て来ようと思いました。一つ一つの楽器に歴史があり、本司さんの博識とうんちくに聞き入っているととても全部回りきれないので、結局アジアを中心に見て回り、ヨーロッパは時間とカメラの電池も無くなってさっと過ぎてしまいました。残念………
本司さんありがとうございました。
私.jpgポスター.jpg

博物館を後にして、故郷へ帰ると必ず訪れる遠州灘の海岸へ車を走らせます。
2年前に来た時より風力発電の風車が多く設置されているのには驚きでした。
快晴の海岸に佇み、海風の強い揺れに体を任せ、寄せては返す波の鼓動を感じていると……うーん至福の時です。ちょっとだけその雰囲気を映像でご覧ください。




尺八の簡単割れ止めと音程調節機能付き尺八 [尺八雑談]

このところ忙しくてブログ更新やチェックを怠っておりどうもいけません。
返事兼更新記事を書きます。
書き込みいただいた湊山さんへ具体的な割れの簡単対処法と音程調整尺八などをご紹介いたします。

割れの予防には常にビニール袋に入れて持ち歩く、冬などの季節は急激な温度変化を避けるなど保護して保管するにしても、演奏する時はむき出しの状態ですから尺八本体に何か巻き付けて割れないようにするのが一番ですね。
最初から割れ巻きを施してきれいに籐巻きをするのがベストですが、素人では難しいし、専門家に頼むと高いしで大変です。テグス糸も巻くのが結構難しいです。そこで簡単で見た目も丁寧に巻けば不自然ではない方法をお教えしましょう。

割れ補修①.jpg
実はビニールテープをきつく巻くだけなのです。写真は黄色いテープですが、黒や茶色など尺八に巻いて遠目には漆のように見えるテープを使用します。
巻く場所を決め、均等に間隔を空けて巻いていきます。ポイントは切れる寸前まで強く引っ張りながら巻き付けるのです。そして最低5回以上同じ太さに揃えながら重ねていきます。ごらんの通り割れがぴったりと閉じました。(巻き方が雑ですみません、何度か練習して下さい)
割れ補修②.jpg割れ補修③.jpg割れ補修④.jpg割れ補修⑤.jpg

このように割れる前に事前に巻いておくと防止になります。完全ではありませんが亀裂が大きく開くのを防ぐことはできます。
事前に巻く時は、歌口のすぐ下(3cmほど間隔開けて2カ所巻いておくと丈夫)、5孔(裏穴)の上の節の上下、下管では1〜2孔間にそれぞれ巻きます。

音程調節機能付き尺八
全体写真.jpg部分写真①.jpg

季節により尺八の音程が上下し、演奏に不自由を感じるのは皆さん同じようです。今年の猛暑は私も尺八製作にも支障が出るほど音程が高く出るので音程調整はしんどかったですね。そして「音程を下げてくれ」という修理調整の依頼が多かったのも今年の特徴ではありました。
フルートのように頭部管をスライドさせて全長を伸縮させる機能があればかなり悩みは解消するのですが。

昔からフルートのように音程調整機能が付いた尺八は考えられていたようで、写真のように上管の途中にホゾを入れてスライドさせて音程を上下させていたようです。私も以前このようなタイプを製作したことがあります。

音程調整①.jpg音程調整②.jpg

がしかし、フルートはかなり薄い金属のホゾがスライドするので管内の径に影響は出ませんし、尺八の内径構造のようにテーパーがついていなくてストレートなため、全体の音程がかなり均等に上下出来る構造のようです。
尺八の場合もホゾを薄い金属で作製すれば内径への影響が少なくて済みそうですが、自然の植物である竹を利用するので太さがいろいろあり、一定の内径構造に出来ないため、削れない金属を最初から嵌め込むと微調整が難しくなることが予想されます。
プラスチックや木管のように同じ形状で大量生産されるものには有効かと思われます。(良く鳴ればですが)
普通の竹製のホゾは強度を考えると厚さ3mm以上は必要でそのような厚さを持ったホゾを2〜3mmスライドさせるだけで内径に大きな溝が出来て、鳴りに影響が出る場合があります。もし作るとすれば写真のような位置ではなく歌口の真下が一番影響が少ないと思われます。

しかし製作してみるとフルート違って内径構造がかなり複雑なためか、均等に音程が上下せずに、歌口近い5孔の音程が一番大きく上下し、以下4321孔と上下の幅が小さくなっていきます。1本しか製作していませんので確かなことは分かりませんがスライド機能を有効にする為の内径構造が必要なのかもしれません。

音程調整③.jpg

それなので、写真の長い方の尺八(2尺)のように3カ所のホゾを設け、一番上で4、5孔 2番目で3、2孔 3番目で1孔を調節するようにすればかなり正確に各音を調節することが出来ます。それでもスライドさせればホゾの隙間で溝が出来ますからホゾと同じ太さのドーナッツ形リングを数種類用意し、音程調節で出来た隙間を埋めるようにすれば完璧でしょう。

でも昔作製して結局使わなかったのはなぜでしょうか?
野外や体育館などで演奏する場合以外はホールなど空調設備の整った環境では温度も季節に関係なく一定なので、ある程度メリカリで対応出来るし、ピアノのように一定の音程に調律されてある楽器と演奏するのでなければ、箏などは2〜3Hzの上下などすぐに対応してくれる楽器だからでしょうか。

8孔写真.jpg焼き印.jpg

この8寸管はかなり古い尺八で8孔尺八です。ツのメリ、中メリに対応出来るよう小指でE♭、薬指でE、中指でF を出します。戦前の演歌尺八のことを書いた記事にこの8孔尺八のことが紹介されていました。しかもこの尺八は加えて音程調節機能がついているのですから、昔の尺八吹きの先達は進んでいたのですね!







プロとアマチュア、地唄と現代音楽などなど [尺八雑談]

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遅ればせながら本年もよろしくお願いいたします。

立春が過ぎたというのに昨今の寒さは体にこたえます。しかし、昔の暦をひも解くとまだ正月を迎えていないそうです。江戸時代まで使用されていた旧暦は月の運行を基に作成され、立春前後に正月が来るように設定されました。これは農業を産業の基幹としていた時代、農作業が一段落して最も暇な時期を正月としたということです。明治以降西洋のグレゴリオ暦を導入して旧暦を廃止したため(明治5年12月3日を明治6年1月1日に改めた)正月がずれてしまいました。そのため各地に今も1ヶ月遅れの旧正月を祝う行事が残っています。ちなみに今年の旧正月は2月14日(日)だそうで、梅も咲き始め暖かくなってくるので本当の意味で新春という感じですね。
http://www.ajnet.ne.jp/dairy/
旧暦(太陰太陽暦という)の作成は1ヶ月を月の運行で決め、1年を太陽の運行で決めるという複雑な操作をします。これでは月の1ヶ月(新月→満月→新月)が29〜30日と現在の1ヶ月より日が短く、1年が365日に足りません。そこで1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、それぞれをさらに6つに分けた24の期間をあらわす呼称として24節気(大寒、立春、啓蟄など)を設け、2〜3年ごとに1年を13ヶ月とする閏月を1ヶ月分入れました。こうして季節のずれが起きないようにしたとのことです。なんでこんな複雑で不合理な暦を作ったのかと現代から見れば思いますが、天空の月を見れば今日は月内の何日か分かることが必要だったのでしょう。満足な照明の無かった時代、新月や月が出ない夜の暗さは本当に何も見えない状態で夜出歩くには提灯があっても不便です。当時の照明「行灯」の明るさと満月の明るさは同じくらいだったそうで、月は最大の夜間照明だったのかと思います。そういえば盆踊りはお盆だから15日の満月の夜に踊ったのですね。

さて、昨年は尺八製作の他に尺八演奏会にも種々出かけました。やはり自宅にこもっていては尺八の音の響きはわかりません。ホールでの響きを聞く事も製作には何かしらプラスになると感じるのです。それとプロとアマチュアの尺八の音の響き方、演奏の演出、舞台の構成、などなど尺八の今後を考えるというとちょっと大げさですが参考になればと聞きに出かけた訳です。

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先ずは私の鈴慕会での先輩金野鈴道さんの尺八演奏会です。金野さんは松下電器のエリートサラリーマンとして長く勤務されていましたが、尺八プロ奏者としての夢断ちがたく、早期退職して演奏を磨きこの日を迎えたとのこと。春の海や地唄・本曲とオーソドックスな演目が並び、金野尺八の個性たっぷりの音色を堪能しました。しかし聞き慣れた演目はどうしても師の青木鈴慕先生との比較になって技術力表現力に今ひとつ冴えを感じなくなるのは残念でした。その意味ではまだ弟子であって音色の個性だけではアマチュアの域を脱しておらず、プロとして舞台で様々な音楽を表現してきたという積み重ねが無い限界を感じました。
金野挨拶.jpg金野チラシ②.jpg
しかし、この演奏会は続きがあって、ギターとのジョイントコンサートが2ヶ月後ありまして「タイスの瞑想曲」「アルハンブラの思い出」「与作」など古今東西の名曲を集めての演奏や今回のコンサートに合わせて委嘱した新曲などを織り交ぜた楽しい音楽会でした。「糸竹」と名付けられたギター・尺八デュオは金野さんのもう一つの尺八の姿で、地元船橋のライブハウスではつとに有名な二人のようです。先の古典とは逆に金野さんの個性が演奏を引き立て、彼にしか表せない尺八の魅力を感じました。松下の社員時代よりジャズバンドと一緒にコンサートを重ね、地元でのライブに出たりとご本人が尺八を楽しんでいる気持ちそのままがこちらに伝わり良い演奏会でした。金野さんの音楽はこのようにあるべきと感じ、尺八の音色も鈴慕会的な鋭さよりも柔らかな表現に比重を置いた方が演奏が生きると思いました。今年以降もこの2通りの演奏会が続くそうで展開が楽しみではあります。
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会場では委嘱初演の楽譜を販売していました

次に芸大現役、卒業生を中心とした若手演奏家による地唄箏曲の演奏会「ー古典を研鑽する会ー第10回翔たけ日本音楽」が紀尾井ホールでありました。尺八演奏者にはジュニアがずらり!田辺頌山、川村泰山、田島直士、辻本公平各氏のご子息達、早稲田大学を卒業後芸大へ入り直したという黒田、渡辺両氏など気になる顔ぶれが並び、演奏の展開・表現に期待が高まります。

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公演は昼の部、夜の部2回で合計9曲が演奏され地唄演奏を堪能しました。若手とはいえプロの演奏家達です、隙のないしっかりとした技術でしかも表現豊かに演奏していました。中でも三絃を演奏していた澤村裕司さんの圧倒的な声量に
は驚きました。ただ大きな声ではなく歌詞をはっきりと発音していて聞き取り易く、今までの演奏家にない表現で感情豊かに歌い上げていたのは見事です。このような歌い方と表現は私にとっても新鮮で邦楽になじみの無い一般の人にも音楽として受け入れられると思いました。地唄に未来を感じたのです。
さて、尺八は自分の範疇ですからどうしても聞き耳を立ててしまいます。気になったのは琴古流の演奏者たちです。音が移る時の「スリ手」が過剰に入り過ぎてうるさく感じられました。出てくる人皆が同じようにスリ手を入れ、同じように「打って」「当たって」「収める」という琴古流に取っては基本的な手法を延々と繰り返すのです。尺八それ自体は非常にうまいのにこのワンパターンの演奏スタイルは残念でですね。先の澤村さんのように「ああ、こういう表現方法もあるんだ」という発送の転換が必要かな。地唄箏曲は本来、歌に三絃・箏の手付けをした歌曲であり、尺八が入った演奏を前提に作曲されたものではないのですから、三曲合奏における尺八吹奏には効果を考えて構成をしなくてはならないと思う次第です。また、三絃箏の流れとは全く関係なく、独り相撲よろしく吹きまくる尺八も下品ですね。
その意味では都山流のお二人は本来都山流には無い琴古流の手法を入れたり、歌の強弱に合わせた表現、流れに乗ったリズム感のある演奏などが好感で、さらに流派の「癖」を感じさせない流麗さもあったように思いました。
黒田君.jpg鈴慕会期待の新人黒田君(芸大3年)

尺八製作者として時に気になるのは音の出しにくさを感じさせる音質でしたね。どなたかとは言いませんが歌口か本体に欠陥がある尺八をお持ちかなと老婆心ながら記しておきます。

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今年に入って1/28にサントリーホールにて山本邦山プロデュースの作品発表会がありました。これは(社)日本作曲家協議会が「日本の作曲家」と題して主催する演奏会で1974年から続いているそうです。協議会会長(小林亜星)のあいさつには「作曲家によって創られた音楽は、優れた演奏家によって実際の響きとして発表されることで、初めて聴き手との具体的な触れ合いが生まれます。日本作曲家協議会では、毎年会員の室内楽作品を楽譜制作してまいりました。今年度は第1夜(1/28)は尺八を使った室内楽6曲と第2夜(1/29)は第37回楽譜制作作品発表会として7曲を国内外で活躍する素晴らしい演奏家による演奏をお楽しみ下さい」とありました。
演奏は山本邦山始め息子娘を含めたファミリーと門下の川村泰山、野村峰山によるもので、全体に抽象的で自由リズムのゆっくりとした演奏がほとんどでした。メロディーらしいものが何も出て来ない音の羅列なのでちょっと聞く分には訳の分からない音楽です。しかし一般の人に尺八の虚無僧音楽を聞かせたり、地唄を延々と聞かせれば同じ感想を持つと思いますから、これはこの世界に身を任せ、何度も聞くか、自身で演奏してみて曲想を作り上げて行く以外に作曲の意図を理解する方法はないと思いましたね。
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上記ふたつのコンサートとは180度違う精神世界の表現に戸惑いましたが、尺八の音楽に果敢に挑むその実験精神は評価出来ると思いました。休憩中受付に今回の楽譜が販売されていたのでちらっと見てみました。全部は見ていないので何とも言えませんが、その昔、諸井誠や入野義郎などという現代音楽の作曲家達の尺八を扱った楽譜が小節線が無く、五線譜というより矢印やミミズののたうつような線で音程を表現してあったのに比べ、整然と綴られた五線譜だったのには意外でした。すぐにでも演奏出来そうな感じでしたが、いざこれを表現するには技術的にも精神的にも私にはハードル高そうな音楽ですね。やっぱり演歌やポップスのほうが楽しくていいなあ。
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聞き終わって思ったのは、作曲された曲が名曲とも限らないのでこの演奏会で演奏されたきり二度と演奏されない事もありえます。そのような曲がおそらく過去にも何百何千とあり、それらを踏み台にして一つの名曲が生まれるのでしょうか........。尺八の江戸時代より伝わる虚無僧音楽にもその重みを感じさせるものがあります。次世代に伝える意義を噛み締めたコンサートでもありました。
ただ、今回は山本邦山ほか演奏者が都山流の方々だったのですが、これを琴古流の演奏者(青木鈴慕、三橋貴風、善養寺啓介など)が演奏したらどのような表現になっただろうか、ぜひとも聞いてみたいものです。

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最後は邦楽合奏団「翔」(はばたき)の第31回定期演奏会です。私自身麻生区で同じような合奏によるコンサートを開いているので最後はアマチュアの演奏についてお話ししましょう。この「翔」はおそらく都内では一番古い合奏団でしょうか。代表の岩橋さんは私の母校明治大学三曲研究部の4年先輩で関東学生三曲連盟の委員長でもありました。その関係で卒業後、仲間を募って立ち上げたこの団体は言わば社会人野球のような存在で、サラリーマンとして仕事をするかたわら練習に励み、合奏曲を皆で練り上げ演奏会に出すという作業を積み重ねてきました。
岩橋さん.jpg代表の岩橋さん

普通、邦楽の世界に入門すると邦楽の練習合奏は古曲や流派社中の曲に限られますが、学生サークルで育った我々はその古曲とともに、他社中の曲や洋楽の作曲家が作曲した合奏曲も演奏会のプログラムに取り入れるので、多方面のジャンルの音楽に触れる機会があります。大学によっては練習方法もブラスバンドやオーケストラと同じようなリズムやハーモニーの練習を課す所もあります。それゆえに個人の技術を磨く先生対生徒の対面練習に終始する一般の邦楽練習より箏、三絃との合奏機会がはるかに多く、より実践的な練習に恵まれていると言えます。そういう意味では一般の人達は先生の管理下に置かれるため自身で合奏を考え、自由に合奏を検証する時間も無く、ただ先生の言いなりになってむなしく時を費やしていると言わざるを得ません。
夏夢.jpg合奏曲「夏夢」

もちろん学生も先生の指導は受けますが、自分達で考え、舞台で失敗して成長して行く時間が無尽蔵にあり、4年間で驚くほど上手になって、卒業後プロになってしまう人も出る事は承知の通りです。
このように合奏の楽しみを知ってしまうと、卒業後プロにはならなくても、継続して合奏を続けたいと思うのは当然の成り行きで、気のあったもの同士でグループを組んだり、先輩達が立ち上げた合奏団へ入団する事になるのです。現在都内には「翔」「織座」「21世紀」「来音」「十哲」などなど様々な団体グループが存在しています。
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専大三曲の教え子渡部君、今回新規に我が工房の8寸、6寸を購入しての舞台です。


演奏する曲目はほとんど現代曲になりますが、難しい曲もありプロではありませんので、必ずしも名演とはいきませんが
一人では表現しきれない多人数での音の厚みと合奏のパワーが客席を感動させることはしばしばあります。先の金野さんの例で申しましたが自分達が合奏を楽しむ事が大事なのです。「楽しんで楽しんで、その溢れ出たものを聞かせるのがコンサートである」と、NHK邦楽技能者育成会の講師だった藤井凡大先生は言いました。自分達で構成する舞台も凝り方によっては楽しい演出となってお客様を喜ばせます。お客様がお客様を呼び客席が埋まっていくと拍手は大きくなり、相乗効果で演奏も盛り上がります。聞いてくれるお客様を楽しませるためにコンサートはあります。邦楽のおさらい会的演奏やプロの技を見せる演奏会とは一線を画して、魅せる邦楽を演出するのがアマチュアの邦楽コンサートかなと思います。
福田君.jpg明治三曲後輩の福田君笠原さん.jpg専大三曲笠原さん飛気さん.jpg専大三曲飛気さん吉成さん.jpg専大三曲吉成さん


三曲あさおでも今年5月8日(土)麻生市民館大ホールで第17回定期演奏会を開催します。今回もいろいろと企画を練って楽しい邦楽を魅せます。乞うご期待!

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普大寺跡参詣 [尺八雑談]

姪の結婚式があったので、地元浜松へ行きました。
今回の披露宴会場が市内グランドホテル横にある「KURETAKESO」という所と聞き、これは是非見ておかねばという場所を思い出しました。
浜松にその昔あった「普大寺」という虚無僧寺のことです。普大寺は江戸時代、虚無僧寺の総本山として大小120もの寺院を従えていた「一月寺」(千葉県松戸市に現存)の直属の普化宗金先派の本山として1613年に宗慶禅師により浜松に建立されたと記録にあります。
尺八古典本曲のうちでも特に古伝三曲といわれる「虚鈴」「虚空」「霧海虎」をはじめ、全国に伝わる数々の名曲を残した由緒ある寺として虚無僧研究の対象にもなっています。しかし明治に入り普化宗の廃宗に伴い普大寺も廃寺となったようです。
面白いのはその後日談です。廃寺となった寺の本堂は小学校の分校として再利用され、音楽で使われていたアメリカ製のオルガンが故障したことで市内在住の機械器具修理職人「山葉虎楠」に修理の依頼をしました。これがきっかけで後の楽器メーカー「ヤマハ」が誕生することになるのです。
寺の庫裏に工場を作ったことから、この寺跡の高台を「オルガン山」と地元では言い習わし、山に沿った坂を「オルガン坂」といいます。今もその名を記した杭が坂の3カ所に立っています。
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ヤマハの工場が移転した後、味噌蔵としてこの寺跡を買い取った男が醤油や浜納豆の老舗「ヤマヤ」こと鈴木孝作で、寺に残されていた一基の墓を隣の「法林寺」に頼んで移したところから普大寺の形跡が残ることになったのです。その墓を昭和41年、法林寺の住職が復元し普大寺開山の墓として記念碑とともに整備してから広く人々の耳目に触れるようになったということです。

寺の山額.jpg
話が長くなりましたが、そういう訳で結婚披露宴会場のKURETAKESOはその法林寺の真横に位置しているのです。披露宴が始まるまでの短い時間でしたが会場に到着するや早速カメラ片手に現地へ急行です。
寺の本堂前でウロウロしているとご住職が近づいてきたのを幸い、墓の場所を尋ねると親切にも案内してくれました。墓を尋ねる人は結構多いそうです、やっぱり!

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墓地は寺の後方にある小高い丘の上に広がっております。その一番高い所に普大寺開山宗慶禅師の墓はありました。雑草に囲まれてひっそりと鎮座する三基の墓の前に「普化宗普大寺開祖墓」と刻まれた石碑が立っておりました。

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墓地の横にそびえ立つマンションを指差して「このマンションの所から交差点にかけての一帯が普大寺が建っていた場所だよ」とご住職。墓の前に座りしばらく手を合わせて往時を偲びます。時間が無かったので雑草などを抜いてきれいに掃除出来なかったのが心残りでした。

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寺を後にしてマンションの正面、菅原町の交差点でカメラをパチパチ撮りながら、思えば高校時代、この付近は何度も通学帰りに通った場所であることを思い出しました。あの当時まさか将来尺八を吹くようになるなんて想像だにしなかった同じ場所を、全く違うシチュエーションで眺めている自分を空から俯瞰している変な想像が頭の中でぐるぐる回っていました。

交差点から普大寺方面.jpg菅原町交差点から普大寺跡のマンションを臨む
オルガン坂全景.jpgオルガン坂方面

結婚式は場所を「浜松八幡宮」に移動して行うというのでバスで神社へ連れて行かれると、雅楽の音色が耳に入ってきました。境内を新郎新婦はじめ両親親戚が行列をして雅楽の先導のもと神殿に赴くというスタイルで結婚式は始まるのだそうです。式はともかく雅楽を奏でるおじさん3人組のほうが興味ありますねえー。式の最中はお祝いの舞楽も舞われました。今の結婚式はなかなか凝ってますね。
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邦楽インタラクティブコンサート [尺八雑談]

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8/23(日)横浜は磯子区の杉田劇場で邦楽インタラクティブコンサートが開かれました。
何やら聞き慣れない言葉「インタラクティブ」とは辞書をひも解くと <双方向に情報をやり取りすること。デジタルメディアの持つ基本的な機能。送り手からの一方的な情報送信ではなく、その内容に対し受け手が適宜、応答することで、受け手側のニーズを多方面に生かすことができる。> と解説されています。
コンサートに当てはめれば、一方的な聞かせるだけの演奏ではなく、お客様に解説したり、客様の声を聞いたりして双方向に舞台を楽しむ演奏会をしようというわけのようです。副題に〜舞台と客席との交流〜と謳われていますが明快な言葉ですね。
今回このコンサートに助演で出演することになり、磯子区まで出かけました。三曲あさおでご一緒しております藤井誠山さんに誘われて初めてこの会に出ることになったのですが、さてどんな感じのコンサートかな.....。
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JR根岸線新杉田駅前に建つ、しゃれたビル/ラ・ビスタ新杉田の5階に杉田劇場があります。250席くらいの客席で新しくてきれいですね。
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舞台ではゲネプロが進行中で尺八の出演者が舞台進行と搬出搬入を担当しておりました。出演者は神奈川県内の尺八、箏の先生方でこのインタラクティブの趣旨に賛同し、皆さん手弁当で参加運営しており、もう11回も会を重ねています。

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コンサートの主催者で皆さんのまとめ役である吉田酔山さんにご挨拶し、楽屋へ案内されました。吉田さんは邦楽の演奏会をなるべく多くの人に聞いてもらいたいという願いのもと、このコンサートを発案されました。出演者共同で舞台を運営し、なるべく聞きやすい現代曲などを選択、司会者を交えてお客様に曲や楽器の説明をし、時には客席へインタビューもします。「私のわがままでこのコンサート始めたのですが、出演者の方々が快く引き受けていただき、ここまでやってこれました。感謝感謝です」と謙遜しつつ、にこやかな笑顔で皆さんを包み込みます。

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楽屋を出てロビーに行くと尺八の出演者の石田昭男さんがおりました。和楽器のリサイクル店「アンティークね色」のご主人です。私が尺八製作を始めた頃からのお付き合いで、ここしばらくはご無沙汰しておりました、お久しぶりです!古管尺八や尺八製作などについて商売のお話をちょっと........。

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昼食後午後1時半開演、私は1番目の「つくしの旅」(野村正峰作曲)に出演です。お箏4人と藤井さんと私の6人でコンサートの幕は開きました。なかなか響きのよいホールで、演奏していて気持ちがいいですね。今回初めての出演なのにリハーサルの時間がなかなか合わなくて1回しか合奏練習が出来なかったので糸の人にはご迷惑かけました、なんとか無事に演奏終わりました。

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舞台転換は緞帳を降ろさず暗転で行います。その間に司会者の女性が曲目解説を読み上げ、吉田さんがいろいろと邦楽についてお話をする進行でプログラムは進みます。本日演奏される曲は全部で16曲あり、終演予定は午後6時頃となりますのでちょっと長いコンサートです。そのせいかお客様の出入りが頻繁にあり全体を通してお客様が少ない印象を受けるのは残念です。

石田さんの本曲「阿字観」は3尺近い長管でじっくり聞かせています。地唄「磯千鳥」「雪月花によせて」吉崎克彦作曲「春の夜」宮城道雄作曲「管公」筑紫歌都子作曲と曲目は古典現代曲を交えてバラエティーに富んでいます。「管公」は舞の人に合わせての演奏でした。

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休憩後石田さんの「黒髪」舞台映えも良くきれいな演奏でした。その次が私と藤井さんで尺八本曲「下がり葉の曲」を演奏しました。ちょっと力み過ぎでした。「枯山水」山本邦山作曲は吉田さんの尺八と三絃の二重奏です。達者にこなしております。


吉田さんはプログラムに尺八のことを「EBP」と表記しています。
エンド・ブロウ・パイプ(end blow pipe)の略なのですが、尺八という日本独自の楽器を外国の方に説明する時にはよくバンブーフルート(竹のフルート)という言い方をします。しかしフルートいうにはあまりにも外形が違いますので他に何かちょうど良い翻訳語がないか、検討している時に「パイプの端から息を入れて吹く楽器」という言い方をそのまま当てはめてEBPという呼称に行き着いたとか。まだ吉田さんしか使用しておりませんが尺八に取って代わる現代的なネーミングとして採用されるかどうか、うーむ........。

さらにプログラムは進みますが、私は夜用事があり、途中で帰ることになりました。夜の打ち上げに参加したかったのですが残念!後ろ髪を引かれる思いで会場を後にしました。会を重ねているので出演者同士和気あいあいと楽屋、舞台袖で話が弾んでいます。残暑の厳しい日でしたが心地よい汗をかきました。
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尺八アンサンブル十哲 第17回定期演奏会 [尺八雑談]

8月9日(日)尺八アンサンブル十哲の演奏会がありました。
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十哲は他の楽器を加えない尺八だけのアンサンブルで全曲を演奏するグループで、もう17回の定期演奏会を重ねています。既存の尺八重奏曲はもちろん、ポピュラー、クラシック、映画音楽などを尺八重奏にアレンジしてレパートリーに加えています。
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葛飾区にある、かつしかシンフォニーヒルズ・アイリスホールに午後2時頃着きました。入り口にはモーツァルトの銅像がお出迎えです。この十哲は、そもそも千葉大学の邦楽サークルOBOGによって結成され、サークルを指導されている尺八演奏家曽我哲山さんの名前にちなみ「孔子の優れた10人の門下生」という意味の十哲に基づき名付けられたそうです。受付にはその先生曽我さんがにこやかな笑顔で立っておられました。豪快な飲みっぷりと快活な人柄は良き兄貴として今でも皆から慕われています。実は曽我さんと私はNHK邦楽技能者育成会<http://www.nhk.or.jp/event/ikuseikai/ikuseikaitoha.html>25期の同級生で30年前の1年間一緒に渋谷のNHKスタジオに通った尺八仲間です。「やあ、お互い年取りましたなあ....」
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楽屋を覗くと10数名の男女が出番前の最後の調整に余念がありませんが....あまり緊張感はありませんでこれから宴会でも始めるような雰囲気でした!この中の何人かは工房のお客様として修理調整、製品購入をいただいており、言わば私の作品実演を調査に来たようなもので「コラー!いい音出さなかったら承知せんどー」と笑いながらプレッシャーをかけるのであった....。

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2時半演奏開始です。ホールに美しいハーモニーが流れ出ます。立山アルペン紀行(石垣征山作曲)火灯窓(大塚茜作曲)本末(ジョン・海山ネプチューン作曲)知っている曲もあり知らない曲もあり、最初は捉え所のない不安定な曲にも感じたのが、3人〜5人で奏でる音の重なりに体が馴染んでくると一人一人の音の違いが分かってきて面白くなってきます。実力のある人が皆をリードしていったり、一生懸命に練習してきたんだなと分かるようなたどたどしい演奏もありましたが、こぼさず崩れず演奏し終わります、拍手!
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皆さんプロではないサラリーマンで、仕事の合間に練習時間を作ってこの舞台に臨んだのですから当然上手ではありません。しかしながら同じ釜の飯を食ったというようなチームワークの良さとこの尺八だけのアンサンブルという演奏スタイルが勢いを持っているのでしょう。舞台が生き生きしています。
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アランフェス協奏曲(ホアキン・ロドリゴ作曲)ポップスメドレー(ケ・セラ・セラ/二人でお茶を/ムーン・リバー)おっと!ここで私の製作したA管が登場しました。吹いている吉田さんの音に耳が行ってしまい、曲を聞く雰囲気ではありません。わだつみのいろこの宮(福田蘭童作曲)この十哲の世話役的な存在の中村さんの技が冴え渡ります。

さてプログラムは進んで最後の曲になりました。委嘱初演となる「四大美人」という曲、作曲者は山木幸三郎です。言わずと知れた宮間利之&ニューハードのギタリストにして作編曲者として多くの作品を書いてきて、日本のビッグバンドを国際水準にまで引き上げた功労者です。<http://sound.jp/jazzconcert/profile.htm
ご本人が会場に見えていて、インタビューとなりました。
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聞き手は西村さん、ちょっとコミカルなその人柄は十哲の癒し系?様々なお客様を工房に紹介いただくので我が工房の招き猫的存在です。父上が日本尺八連盟栃木支部長の西村的山さんで栃木ではジャズ尺八プレイヤーとしても有名です。さて壇上に登った山木さん、好々爺然として笑顔もやさしくとても日本を代表するアーティストとは見えません。広く音楽を楽しんでもらうというモットーのもと、アマチュアにもいろいろと作曲や演奏指導をしているという言葉の一つ一つに暖かさが感じられました。


しかし「四大美人」とは凄い曲名です。本日の参加メンバ−13名のうち女性は3名、さて?舞台に男性がぞろぞろ9名並びまして、次に華やかな衣装をまとった四大美人(クレオパトラ、マリー・アントワネット、楊貴妃、小野小町)が登場して笑いを誘います。
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ジャズバンドのような音の厚みはありませんが13名の息の合った演奏は見事です。各美人の独奏も聞かせどころで、美人になりきって演奏しておりました。一人ちょっと不審な小町がおりましたが.........。

久しぶりに良いコンサートを聞きました。尺八を充分に楽しんでいる皆さんが輝いていました。お疲れさまでした。

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節分会 [尺八雑談]

平成21年も早1ヶ月余り過ぎまして今日は節分です。明日は立春、梅の花がちらほら咲き始めました。もうすぐ春ですね。
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ということで節分の行事「豆まき」に行ってきました。
辞書をひも解くと、節分の日に豆を撒く行事は寺社が邪気払いに行った「豆打ち」の儀式を起源とした行事で、室町時代以降の風習らしく、季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、鬼にまめをぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがあるようです。
今年は55歳となる我が身を振り返って、無病息災はいうまでもなく、1年の無事と工房の商売繁盛を願って「福は内」と声を大にして叫ぶことのできるありがたい行事です、いそいそと出かけました。場所は麻生区にある琴平神社です。

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そう大きくない境内には午後3時開始の30分前ともなると大勢の人で埋まり始めます。平日の午後ゆえお年寄りが多いのですが、無料で豆や餅、「福銭」と呼ぶお金も撒かれるので神聖な儀式というより無料配布イベントですね。私ももちろんそれも(が?)目当てですが.....。

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欲にかられて我れ先と殺到するため、怪我人が出ないよう警官が儀式の進行を見守ります。何か起こった時は一時中止の命令を出します。

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鬼の扮装をした人がいたので、これに向かって豆をぶつけるのかと思ったら、豆を撒く壇上に人々が殺到するのを防ぐため紅白の縄で規制線が張られているのですが、乗り越えないよう見張っているのでした。

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さて開始時刻となり、壇上には年男女の他に、何やらあちこちのポスターで見慣れた議員さんの顔が3人ほどいます。まあ、こんな所に有名なタレントなどは来ませんが、一応有名人ではありますね。

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さあ!始まった。夢中でカメラのシャッターをと思いましたが、気がつけば乱舞する豆の袋を追っておりました。敬老精神のかけらもないほど無惨な豆の奪い合いにお婆さんが「年齢と男女を分けた柵を設けてくれないと取れないよ!」でもご安心あれ、この日は30分おきに3回豆まきがあるようなので、いい場所に並べば少しは獲得出来るよと宮司さんがやさしく声をかけておりました。
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暖かな日でポケットの中も福豆でいっぱいになり、心も温かくなった初春の一日でした。
うん?何か変だなあ神社で豆まきを行うのはいいのですが、豆一粒一粒では取りにくいので袋に入っている(散乱しないので奇麗で掃除も楽?)と鬼にぶつける効果はいかがなものか?豆を撒くというより、豆に群がる人に豆をぶつけてるような......(我々は鬼か?)
豆を持ち帰り家で撒くということかな?
もちろんその夜は我が家も豆まきで1年の無病息災を願ったのは言うまでもありません。


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今年1年ありがとうございました。 [尺八雑談]

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今年の後半は未曾有の不況に世間が泣いた年でした。
新たな年は是非とも明るい展望が開けるように願ってやみません。
そんな中、浮世離れした尺八製作という商売ででとりあえずは生活ができるようになりました。未熟な私に仕事をくださり、また応援、支援してくださるお客様、先輩諸氏、友人の方々には言葉に尽くせない感謝の気持ちで一杯です。
本当にありがとうございました。
その応援を糧に来年もさらに良い尺八を作っていきたい、そして尺八という楽器を通して知り得たことを少しでも皆様に還元したいという気持ちで頑張ってまいる所存です。
皆様良いお年をお迎えください。
来年もよろしくお願い申し上げます。

私は不器用なせいで音楽とくに楽器の演奏が苦手でした。ある時から音楽が好きになり尺八と出逢いました。それゆえ演奏が上手く出来ない、楽器の操作がうまくいかない、リズムや音の出し方に苦労している方々の気持ちがよく分かります。このブログはそのような方々への道しるべとなれば幸いです。

そんなわけで特集→私が音楽に目覚めた日:

学校という現場で受けた教育のうち音楽だけはまるでだめで、嫌いでした。歌うのは好きですがドレミの音階で歌わされるのは嫌でした。ハーモニカ、リコーダー、鍵盤楽器どれも演奏が出来なくていつも先生には怒られていました。
一番嫌なのは「へたくそ」と言われることです。別に専門家になるわけでもないのだから多少の間違いや自由なリズムでもいいでしょう!だって美術の時間では一度もへたくそとは言われなかった、いや下手なのでしょうが「個性的」とか「色が奇麗」とか先生は一方的に生徒を追いつめないのですよ!

中学高校と進んでますます音楽嫌いになってあげくは当時流行していた歌謡曲やグループサウンズ、フォークといった当然若者なら興味を持ち熱狂するものまで拒否し始めていました。ある時、ラジオの音楽番組で有名なバンドのメンバーが他のバンドの音楽を下手だとか編曲が悪いとか言うのを聞いたときは「あー音楽は変わっていない、人を蔑むことで優越感に浸っている」とさえ思ってしまいました。高校では美術部に入り、ひたすら石膏デッサンやってた。趣味としては歴史小説、写真、天体観測......音がしないものばかり。

転機は大学受験の浪人中、上京し予備校に通う毎日。気晴らしに映画を見るようになり昔の映画を3本立てで格安に上映している所があり足しげく通っているうちに映画音楽が好きなってきましたよ!映像やストーリーに音楽が絡み合って一日中音楽が頭の中で鳴っている。さらに当時流行していたフォークソングが南こうせつ率いるかぐや姫の「神田川」。私その神田川ほとりの下落合にアパート暮らし。
一人暮らしの淋しさに音楽がオーバーラップして住んでいる所が歌詞になっている!
それからは音楽が好きになりました。

さて、大学合格となり何か音楽やりたいなとは思ってみても何を始めるにしても自分には楽器・五線譜の恐怖症がありました。それとクラシックやギター、ジャズ、ロックなどは出来る連中がそのクラブに入ってくるわけだから全くの初心者では皆と楽しめるまでに時間がかかるかな。
それなら邦楽をやってみよう、多分五線譜なんて使わないだろうし小さいときから邦楽やっている人などほとんどいないだろう、ということは入部したら皆同じ条件でスタート出来るから私には良いかもしれないとかなんとか考えて入ったのが三曲研究部でしたね。
ここで尺八と出逢い、始めて楽譜を見て演奏できるようになり、そのロツレチ譜で五線譜を翻訳して歌謡曲、映画音楽、ジャズまで吹きまくりました。
音楽する喜びを知りました。
しかし吹きまくるだけでリズムはめちゃくちゃ、音程は乱高下で「君のは音楽じゃない」と言われて愕然!メトロノーム相手に1日中首を振り、チューナーを買って,演奏をテープに録音してなどなど、さらにのめり込み道を外していまい、尺八の道へ入ってしまったわけです。
もっと早くから音楽に触れていればとは思いますが、さてこんなにのめり込むことになっただろうか?


竹保流 酒井松道尺八リサイタル [尺八雑談]

10/23 大阪の竹保流宗家酒井松道師の尺八リサイタルを聞きに銀座へ出かけました。

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竹保流という尺八流派の名称を聞いたのは学生の時、法政大学が主宰した第1回現代日本音楽祭にて2代目宗家酒井竹保師が演奏した時だったように記憶しています。演奏はもちろん「竹籟五章」で切れ味鋭い音の立ち上がりとメリカリの激しい跳躍に驚いたのを思い出します。尺八を始めて半年余りの頃で三本会の先生方の次に覚えた名前でした。がしかし関西が主な活動の場のせいかその後聞く機会がなく30年ぶりの演奏です。

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会場は銀座王子ホール、小雨まじりの天気の中400席余りのホールは満席でした。関東ではなじみのない流派ゆえパンフレットには竹保流の成り立ちと芸系の系譜が丁寧に解説されており、京都明暗寺を母体として本曲を継承してきた人たちの動きが一目でわかるようになっています。
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会場ロビーには竹保流の資料が展示されていました。竹保/流祖写真.jpg

さて開演です。最初は「鹿の遠音」、しかし琴古流とは全然違うメロディーに冒頭から竹保流の世界に巻き込まれます。大きなユリとメリの少ない曲構成、大甲音の伸びが力強く繊細でした。2曲目の「鶴之巣籠」3曲目の「観月曲」と聞くうちにこの流派の曲想と技法になじんできて心地よくなってきました。私この竹保流の演奏が好きになりそうです。

琴古流始め尺八古典本曲をいろいろ聞いたり演奏してきましたが、かなり毛色の違う演奏だと思いました。極論すれば今まで体験した本曲が「メリの音楽」だとすれば、竹保流は「カリの音楽」かなというところ。雅楽のようにゆったりとして、スリ上げ、ユリが波のように重なって会場を包み込むのです。
最後の曲が「竹籟五章」。
多くの演奏家が取り上げているので、30年前の初体験以来何度も聞いているのですが今回酒井松道師の演奏を通して初めてこの現代曲は竹保流がベースとなっているのだと理解出来ました。
竹保/小林.jpg企画・構成を担当した㈲AISAの小林氏

パンフレットの解説に竹保流の演奏は関西で広く演奏されていた「宗悦流」の特徴を受け継いでおりとの記述で思い出したのは「都山流」の流祖中尾都山も流派立ち上げの前は宗悦流に師事していたということです。
琴古流で育った私には都山流の曲が明治期以降に作曲された新しい曲との概念があったのですが、ベースにある技法の成り立ちには明暗寺本曲があることが今日の演奏でよりはっきり理解できました。

演奏が終わりお客様にお見送りの挨拶をされる酒井師の人懐っこい笑顔が印象的でした。
お疲れさまです。
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仏前結婚式 [尺八雑談]

私の姉の子(甥っ子)が結婚をしました。
磐田市内にある曹洞宗の寺院を継いでいる若き住職です。
昨年伴侶に出逢い今年初めより結婚の準備を進めて来ていました。
住職の結婚ですので場所はやはり寺で行います。
いわゆる仏前結婚式ですね。

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ふだんあまりお目にかかれない形式を見て来たのでちょっとご紹介します。
梅雨時のしとしと降る雨の中会場のお寺に11時頃着きました。本堂へ行ってみると、そこは五色の幔幕に囲まれた艶やかな結婚儀式の場となっていました。本堂正面にはご本尊地蔵菩薩が安置され、祝儀を表す大きな「赤いロウソク」が点灯しています。さらに家紋の入った赤い垂れ幕が左右の柱に縛り付けられています。なんとも奇麗なものですね。参列者には結婚式次第が配られ儀式の進行が解説入りで書かれておりました。
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花嫁花婿と仲人が中央に着座し、鐘の合図で式師を務める僧侶の入場から始まりました。
◯献花三拝:式師に従い三度合掌礼拝。
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◯祝寿諷経:お祝いのお経として般若心経を読み始めました。
◯啓白文奉読:式師が両家の結婚の儀をみ仏に報告します。
◯酒水灌頂:式師が笹の葉で花嫁花婿の頭へ水を振りかけます。清めの儀式かな
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◯寿珠授与:指輪交換のようです。
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◯三帰礼文唱和:参列者全員で仏の道を歩むうえでの誓願を三つ唱えます。
「まさに願わくは衆生とともに大道(だいどう)を体解(たいげ)して無上意(むじょうい)を発(おこ)さん」
「まさに願わくは衆生とともに深く経蔵(きょうぞう)に入りて智慧海(ちえうみ)の如くならん」
「まさに願わくは衆生とともに大衆(だいしゅう)を統理(とうり)して一切無礙(いっさいむげ)ならん」
要するにみ仏を信じ教典を学び、何の妨げも無い自由な世界を得られるように心がけ、誓います。と唱えたのだそうだ。うーん難しい△?☆×!

◯盃事:三三九度ですね。両家の固めの盃もこの後に配られます。
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この後誓いの言葉をご両人が読み上げ、式師の退場で儀式は終わりました。
淡々と儀式が進行して、難しい言葉の羅列に閉口しますが、神前結婚式の雅やかな感じ、キリスト教式の華やかな感じと一線を画す仏事主導の感じは「静かな結婚式」でした。

お寺の子として生まれた私には本堂は毎日掃き清め、供物をささげた場所でした。
僧職である父が毎日祈りを捧げる場所として大事な場所でした。
本堂はあの世へ旅立った先祖への祈りの窓口として檀家さんが共有する聖地でもありました。
子供の時には遊び場だったこの場所は年齢を重ねるにつれ、広い空間として何でも受け入れてくれる落ち着く場所になりました。広い境内、天井の高い本堂、ここは何もない静かな空間なのです。何にも邪魔されない時間の止まった場所なのです。
人生の伴侶とともに出発する儀式にはふさわしい場所かもしれませんね。
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結婚式が終わって、お待ちかね披露宴です。
場所を浜松一高いビル「アクトシティー」にある宴会場に移動しました。
甥っ子は駒沢大学の仏教学部を出て、本山永平寺で修行した経歴からもわかるように、友人はみな僧侶、会社ではなく寺院関係の付き合いが全部ですので花婿側の出席者は僧侶ばかり、服装は黒の衣に袈裟という出で立ちですのでちょっと見るからには慶事か仏事かわからない披露宴ではありました。

お祝いの尺八演奏を頼まれましたので、本曲「虚空鈴慕」でも演奏すると出席者の雰囲気には合うのですが、そうはいきませんでこのような場所では誰でも分かる短い曲が良いのです。
「アメージング・グレース」をたっぷりと吹いてみました。
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