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普大寺跡参詣 [尺八雑談]

姪の結婚式があったので、地元浜松へ行きました。
今回の披露宴会場が市内グランドホテル横にある「KURETAKESO」という所と聞き、これは是非見ておかねばという場所を思い出しました。
浜松にその昔あった「普大寺」という虚無僧寺のことです。普大寺は江戸時代、虚無僧寺の総本山として大小120もの寺院を従えていた「一月寺」(千葉県松戸市に現存)の直属の普化宗金先派の本山として1613年に宗慶禅師により浜松に建立されたと記録にあります。
尺八古典本曲のうちでも特に古伝三曲といわれる「虚鈴」「虚空」「霧海虎」をはじめ、全国に伝わる数々の名曲を残した由緒ある寺として虚無僧研究の対象にもなっています。しかし明治に入り普化宗の廃宗に伴い普大寺も廃寺となったようです。
面白いのはその後日談です。廃寺となった寺の本堂は小学校の分校として再利用され、音楽で使われていたアメリカ製のオルガンが故障したことで市内在住の機械器具修理職人「山葉虎楠」に修理の依頼をしました。これがきっかけで後の楽器メーカー「ヤマハ」が誕生することになるのです。
寺の庫裏に工場を作ったことから、この寺跡の高台を「オルガン山」と地元では言い習わし、山に沿った坂を「オルガン坂」といいます。今もその名を記した杭が坂の3カ所に立っています。
オルガン坂写真.jpg

ヤマハの工場が移転した後、味噌蔵としてこの寺跡を買い取った男が醤油や浜納豆の老舗「ヤマヤ」こと鈴木孝作で、寺に残されていた一基の墓を隣の「法林寺」に頼んで移したところから普大寺の形跡が残ることになったのです。その墓を昭和41年、法林寺の住職が復元し普大寺開山の墓として記念碑とともに整備してから広く人々の耳目に触れるようになったということです。

寺の山額.jpg
話が長くなりましたが、そういう訳で結婚披露宴会場のKURETAKESOはその法林寺の真横に位置しているのです。披露宴が始まるまでの短い時間でしたが会場に到着するや早速カメラ片手に現地へ急行です。
寺の本堂前でウロウロしているとご住職が近づいてきたのを幸い、墓の場所を尋ねると親切にも案内してくれました。墓を尋ねる人は結構多いそうです、やっぱり!

墓地全景.jpg

墓地は寺の後方にある小高い丘の上に広がっております。その一番高い所に普大寺開山宗慶禅師の墓はありました。雑草に囲まれてひっそりと鎮座する三基の墓の前に「普化宗普大寺開祖墓」と刻まれた石碑が立っておりました。

普大寺墓①.jpg墓碑.jpg


墓地の横にそびえ立つマンションを指差して「このマンションの所から交差点にかけての一帯が普大寺が建っていた場所だよ」とご住職。墓の前に座りしばらく手を合わせて往時を偲びます。時間が無かったので雑草などを抜いてきれいに掃除出来なかったのが心残りでした。

寺跡のマンション.jpg

寺を後にしてマンションの正面、菅原町の交差点でカメラをパチパチ撮りながら、思えば高校時代、この付近は何度も通学帰りに通った場所であることを思い出しました。あの当時まさか将来尺八を吹くようになるなんて想像だにしなかった同じ場所を、全く違うシチュエーションで眺めている自分を空から俯瞰している変な想像が頭の中でぐるぐる回っていました。

交差点から普大寺方面.jpg菅原町交差点から普大寺跡のマンションを臨む
オルガン坂全景.jpgオルガン坂方面

結婚式は場所を「浜松八幡宮」に移動して行うというのでバスで神社へ連れて行かれると、雅楽の音色が耳に入ってきました。境内を新郎新婦はじめ両親親戚が行列をして雅楽の先導のもと神殿に赴くというスタイルで結婚式は始まるのだそうです。式はともかく雅楽を奏でるおじさん3人組のほうが興味ありますねえー。式の最中はお祝いの舞楽も舞われました。今の結婚式はなかなか凝ってますね。
雅楽.jpg

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虚無烏

ご無沙汰しています。
姪御さんのご結婚、おめでとうございます。

普大寺のお墓には私も何度か行きました。
行けば、いつも濱納豆を買ってきます(最近は血圧が高くて我慢していますが)。
でも、その濱納豆屋さんが、普大寺の跡地を買ったこと、お墓を法林寺に移したこと、は、知りませんでした。
濱納豆と言えば、法林寺納豆も有名で、でもその法林寺は禅宗の別のお寺なので、ややこしいですね。
醤油や味噌は、由良の興国寺の法燈国師が日本に伝えたと言われていますが、虚無僧を日本に連れてきたのも法燈国師だということになってますよね。
濱納豆は、一休寺納豆とほとんど同じようなもので、その一休さんがまた、虚無僧に関係がある、ということで...;
「実は、普大寺でも納豆を作っていて、明治の廃宗後、それをそのまま生業にしたのではないか」、などという妄想を抱いたことがありますが、そんなことはないですよね(^^;)

by 虚無烏 (2009-12-28 11:52) 

船明啓耳

地元浜松の名物浜納豆、昔から我が家の食卓には欠かせない食品で、納豆と言えばこの浜納豆しか食べたことがなく、あのネバネバの納豆は東京に出てくるまで知らなかったように思います、糸を引く姿に最初はびっくりしました。しかし浜納豆を見たことが無い友人は黒くてコロコロしている様を見て「ヤギの糞」か腐っているとしか見えず、共にカルチャーショックではありました。我が家では醤油やお酒を配達してくれるお店の人が一緒に持ってきていたのだとは思いますが、その人を「ヤマヤさん」と呼んでいたのを記憶しています。お店の屋号はあるのでしょうが扱う醤油のラベルが「ヤマヤ」ですから皆ヤマヤと言えば醤油その他を扱う商売の人という認識であったのでしょうか。ちなみに我が家では薄口醤油が主で東京に出てきて真っ黒い醤油を見てこれもビックリしました。

by 船明啓耳 (2009-12-31 14:34) 

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