SSブログ

プロとアマチュア、地唄と現代音楽などなど [尺八雑談]

新年顔写真.jpg
遅ればせながら本年もよろしくお願いいたします。

立春が過ぎたというのに昨今の寒さは体にこたえます。しかし、昔の暦をひも解くとまだ正月を迎えていないそうです。江戸時代まで使用されていた旧暦は月の運行を基に作成され、立春前後に正月が来るように設定されました。これは農業を産業の基幹としていた時代、農作業が一段落して最も暇な時期を正月としたということです。明治以降西洋のグレゴリオ暦を導入して旧暦を廃止したため(明治5年12月3日を明治6年1月1日に改めた)正月がずれてしまいました。そのため各地に今も1ヶ月遅れの旧正月を祝う行事が残っています。ちなみに今年の旧正月は2月14日(日)だそうで、梅も咲き始め暖かくなってくるので本当の意味で新春という感じですね。
http://www.ajnet.ne.jp/dairy/
旧暦(太陰太陽暦という)の作成は1ヶ月を月の運行で決め、1年を太陽の運行で決めるという複雑な操作をします。これでは月の1ヶ月(新月→満月→新月)が29〜30日と現在の1ヶ月より日が短く、1年が365日に足りません。そこで1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、それぞれをさらに6つに分けた24の期間をあらわす呼称として24節気(大寒、立春、啓蟄など)を設け、2〜3年ごとに1年を13ヶ月とする閏月を1ヶ月分入れました。こうして季節のずれが起きないようにしたとのことです。なんでこんな複雑で不合理な暦を作ったのかと現代から見れば思いますが、天空の月を見れば今日は月内の何日か分かることが必要だったのでしょう。満足な照明の無かった時代、新月や月が出ない夜の暗さは本当に何も見えない状態で夜出歩くには提灯があっても不便です。当時の照明「行灯」の明るさと満月の明るさは同じくらいだったそうで、月は最大の夜間照明だったのかと思います。そういえば盆踊りはお盆だから15日の満月の夜に踊ったのですね。

さて、昨年は尺八製作の他に尺八演奏会にも種々出かけました。やはり自宅にこもっていては尺八の音の響きはわかりません。ホールでの響きを聞く事も製作には何かしらプラスになると感じるのです。それとプロとアマチュアの尺八の音の響き方、演奏の演出、舞台の構成、などなど尺八の今後を考えるというとちょっと大げさですが参考になればと聞きに出かけた訳です。

金野チラシ①.jpg金野看板.jpg
先ずは私の鈴慕会での先輩金野鈴道さんの尺八演奏会です。金野さんは松下電器のエリートサラリーマンとして長く勤務されていましたが、尺八プロ奏者としての夢断ちがたく、早期退職して演奏を磨きこの日を迎えたとのこと。春の海や地唄・本曲とオーソドックスな演目が並び、金野尺八の個性たっぷりの音色を堪能しました。しかし聞き慣れた演目はどうしても師の青木鈴慕先生との比較になって技術力表現力に今ひとつ冴えを感じなくなるのは残念でした。その意味ではまだ弟子であって音色の個性だけではアマチュアの域を脱しておらず、プロとして舞台で様々な音楽を表現してきたという積み重ねが無い限界を感じました。
金野挨拶.jpg金野チラシ②.jpg
しかし、この演奏会は続きがあって、ギターとのジョイントコンサートが2ヶ月後ありまして「タイスの瞑想曲」「アルハンブラの思い出」「与作」など古今東西の名曲を集めての演奏や今回のコンサートに合わせて委嘱した新曲などを織り交ぜた楽しい音楽会でした。「糸竹」と名付けられたギター・尺八デュオは金野さんのもう一つの尺八の姿で、地元船橋のライブハウスではつとに有名な二人のようです。先の古典とは逆に金野さんの個性が演奏を引き立て、彼にしか表せない尺八の魅力を感じました。松下の社員時代よりジャズバンドと一緒にコンサートを重ね、地元でのライブに出たりとご本人が尺八を楽しんでいる気持ちそのままがこちらに伝わり良い演奏会でした。金野さんの音楽はこのようにあるべきと感じ、尺八の音色も鈴慕会的な鋭さよりも柔らかな表現に比重を置いた方が演奏が生きると思いました。今年以降もこの2通りの演奏会が続くそうで展開が楽しみではあります。
金野ギター舞台.jpg楽譜販売.jpg
会場では委嘱初演の楽譜を販売していました

次に芸大現役、卒業生を中心とした若手演奏家による地唄箏曲の演奏会「ー古典を研鑽する会ー第10回翔たけ日本音楽」が紀尾井ホールでありました。尺八演奏者にはジュニアがずらり!田辺頌山、川村泰山、田島直士、辻本公平各氏のご子息達、早稲田大学を卒業後芸大へ入り直したという黒田、渡辺両氏など気になる顔ぶれが並び、演奏の展開・表現に期待が高まります。

昼の部A修正.jpg
公演は昼の部、夜の部2回で合計9曲が演奏され地唄演奏を堪能しました。若手とはいえプロの演奏家達です、隙のないしっかりとした技術でしかも表現豊かに演奏していました。中でも三絃を演奏していた澤村裕司さんの圧倒的な声量に
は驚きました。ただ大きな声ではなく歌詞をはっきりと発音していて聞き取り易く、今までの演奏家にない表現で感情豊かに歌い上げていたのは見事です。このような歌い方と表現は私にとっても新鮮で邦楽になじみの無い一般の人にも音楽として受け入れられると思いました。地唄に未来を感じたのです。
さて、尺八は自分の範疇ですからどうしても聞き耳を立ててしまいます。気になったのは琴古流の演奏者たちです。音が移る時の「スリ手」が過剰に入り過ぎてうるさく感じられました。出てくる人皆が同じようにスリ手を入れ、同じように「打って」「当たって」「収める」という琴古流に取っては基本的な手法を延々と繰り返すのです。尺八それ自体は非常にうまいのにこのワンパターンの演奏スタイルは残念でですね。先の澤村さんのように「ああ、こういう表現方法もあるんだ」という発送の転換が必要かな。地唄箏曲は本来、歌に三絃・箏の手付けをした歌曲であり、尺八が入った演奏を前提に作曲されたものではないのですから、三曲合奏における尺八吹奏には効果を考えて構成をしなくてはならないと思う次第です。また、三絃箏の流れとは全く関係なく、独り相撲よろしく吹きまくる尺八も下品ですね。
その意味では都山流のお二人は本来都山流には無い琴古流の手法を入れたり、歌の強弱に合わせた表現、流れに乗ったリズム感のある演奏などが好感で、さらに流派の「癖」を感じさせない流麗さもあったように思いました。
黒田君.jpg鈴慕会期待の新人黒田君(芸大3年)

尺八製作者として時に気になるのは音の出しにくさを感じさせる音質でしたね。どなたかとは言いませんが歌口か本体に欠陥がある尺八をお持ちかなと老婆心ながら記しておきます。

サントリーパンフ.jpg
今年に入って1/28にサントリーホールにて山本邦山プロデュースの作品発表会がありました。これは(社)日本作曲家協議会が「日本の作曲家」と題して主催する演奏会で1974年から続いているそうです。協議会会長(小林亜星)のあいさつには「作曲家によって創られた音楽は、優れた演奏家によって実際の響きとして発表されることで、初めて聴き手との具体的な触れ合いが生まれます。日本作曲家協議会では、毎年会員の室内楽作品を楽譜制作してまいりました。今年度は第1夜(1/28)は尺八を使った室内楽6曲と第2夜(1/29)は第37回楽譜制作作品発表会として7曲を国内外で活躍する素晴らしい演奏家による演奏をお楽しみ下さい」とありました。
演奏は山本邦山始め息子娘を含めたファミリーと門下の川村泰山、野村峰山によるもので、全体に抽象的で自由リズムのゆっくりとした演奏がほとんどでした。メロディーらしいものが何も出て来ない音の羅列なのでちょっと聞く分には訳の分からない音楽です。しかし一般の人に尺八の虚無僧音楽を聞かせたり、地唄を延々と聞かせれば同じ感想を持つと思いますから、これはこの世界に身を任せ、何度も聞くか、自身で演奏してみて曲想を作り上げて行く以外に作曲の意図を理解する方法はないと思いましたね。
サントリー①.jpg
上記ふたつのコンサートとは180度違う精神世界の表現に戸惑いましたが、尺八の音楽に果敢に挑むその実験精神は評価出来ると思いました。休憩中受付に今回の楽譜が販売されていたのでちらっと見てみました。全部は見ていないので何とも言えませんが、その昔、諸井誠や入野義郎などという現代音楽の作曲家達の尺八を扱った楽譜が小節線が無く、五線譜というより矢印やミミズののたうつような線で音程を表現してあったのに比べ、整然と綴られた五線譜だったのには意外でした。すぐにでも演奏出来そうな感じでしたが、いざこれを表現するには技術的にも精神的にも私にはハードル高そうな音楽ですね。やっぱり演歌やポップスのほうが楽しくていいなあ。
サントリー②.jpg
聞き終わって思ったのは、作曲された曲が名曲とも限らないのでこの演奏会で演奏されたきり二度と演奏されない事もありえます。そのような曲がおそらく過去にも何百何千とあり、それらを踏み台にして一つの名曲が生まれるのでしょうか........。尺八の江戸時代より伝わる虚無僧音楽にもその重みを感じさせるものがあります。次世代に伝える意義を噛み締めたコンサートでもありました。
ただ、今回は山本邦山ほか演奏者が都山流の方々だったのですが、これを琴古流の演奏者(青木鈴慕、三橋貴風、善養寺啓介など)が演奏したらどのような表現になっただろうか、ぜひとも聞いてみたいものです。

チラシ翔.jpg
最後は邦楽合奏団「翔」(はばたき)の第31回定期演奏会です。私自身麻生区で同じような合奏によるコンサートを開いているので最後はアマチュアの演奏についてお話ししましょう。この「翔」はおそらく都内では一番古い合奏団でしょうか。代表の岩橋さんは私の母校明治大学三曲研究部の4年先輩で関東学生三曲連盟の委員長でもありました。その関係で卒業後、仲間を募って立ち上げたこの団体は言わば社会人野球のような存在で、サラリーマンとして仕事をするかたわら練習に励み、合奏曲を皆で練り上げ演奏会に出すという作業を積み重ねてきました。
岩橋さん.jpg代表の岩橋さん

普通、邦楽の世界に入門すると邦楽の練習合奏は古曲や流派社中の曲に限られますが、学生サークルで育った我々はその古曲とともに、他社中の曲や洋楽の作曲家が作曲した合奏曲も演奏会のプログラムに取り入れるので、多方面のジャンルの音楽に触れる機会があります。大学によっては練習方法もブラスバンドやオーケストラと同じようなリズムやハーモニーの練習を課す所もあります。それゆえに個人の技術を磨く先生対生徒の対面練習に終始する一般の邦楽練習より箏、三絃との合奏機会がはるかに多く、より実践的な練習に恵まれていると言えます。そういう意味では一般の人達は先生の管理下に置かれるため自身で合奏を考え、自由に合奏を検証する時間も無く、ただ先生の言いなりになってむなしく時を費やしていると言わざるを得ません。
夏夢.jpg合奏曲「夏夢」

もちろん学生も先生の指導は受けますが、自分達で考え、舞台で失敗して成長して行く時間が無尽蔵にあり、4年間で驚くほど上手になって、卒業後プロになってしまう人も出る事は承知の通りです。
このように合奏の楽しみを知ってしまうと、卒業後プロにはならなくても、継続して合奏を続けたいと思うのは当然の成り行きで、気のあったもの同士でグループを組んだり、先輩達が立ち上げた合奏団へ入団する事になるのです。現在都内には「翔」「織座」「21世紀」「来音」「十哲」などなど様々な団体グループが存在しています。
渡部.jpg
専大三曲の教え子渡部君、今回新規に我が工房の8寸、6寸を購入しての舞台です。


演奏する曲目はほとんど現代曲になりますが、難しい曲もありプロではありませんので、必ずしも名演とはいきませんが
一人では表現しきれない多人数での音の厚みと合奏のパワーが客席を感動させることはしばしばあります。先の金野さんの例で申しましたが自分達が合奏を楽しむ事が大事なのです。「楽しんで楽しんで、その溢れ出たものを聞かせるのがコンサートである」と、NHK邦楽技能者育成会の講師だった藤井凡大先生は言いました。自分達で構成する舞台も凝り方によっては楽しい演出となってお客様を喜ばせます。お客様がお客様を呼び客席が埋まっていくと拍手は大きくなり、相乗効果で演奏も盛り上がります。聞いてくれるお客様を楽しませるためにコンサートはあります。邦楽のおさらい会的演奏やプロの技を見せる演奏会とは一線を画して、魅せる邦楽を演出するのがアマチュアの邦楽コンサートかなと思います。
福田君.jpg明治三曲後輩の福田君笠原さん.jpg専大三曲笠原さん飛気さん.jpg専大三曲飛気さん吉成さん.jpg専大三曲吉成さん


三曲あさおでも今年5月8日(土)麻生市民館大ホールで第17回定期演奏会を開催します。今回もいろいろと企画を練って楽しい邦楽を魅せます。乞うご期待!

ホール内.jpg


nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 1

まきまき

昼の部で磯千鳥を吹いた者です。スリ手が五月蠅いというのは常々師匠からも言われ続けていることでもあり、大変有り難いコメントでした。田嶋先生もパターンで吹くなというのを繰り返して仰るのですが、結局のところ同じようなご指摘なのだろうと思っています。次回も出演することになり、糸方を替えて同じ曲をやります。ご指摘の点、留意してよりよい演奏が出来るように精進したいと思います。ありがとうございました。
by まきまき (2010-02-16 01:06) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。