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明治大学三曲研究部創部50周年記念演奏会奮闘記パート3 [明治大学三曲研究部]

さて、50周年の記念事業は演奏会だけではありません。創部以来600名近くを数えるOBOGの方々の住所を整理して配布する名簿作成委員会、50年の軌跡を後世に残す記念誌作製委員会、お世話になった方々への感謝と顕彰、OBOG諸氏に参集いただいての記念祝賀パーティー委員会など記念事業は膨大でありそれぞれに委員会を設けOBと現役が力を合わせて事務をこなしてきました。そしてこれらを運営し印刷や宴会準備に演奏会も含めてお金がかかります。記念事業実行委員会ではこの資金調達のため広くOBOG諸氏に賛助金の募集をお願いし、目標を上回る額の賛助金をいただくことができました。御協力本当にありがとうございました。

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50周年記念祝賀パーティーは演奏会の終わった後、午後5時半より明治大学お茶の水校舎横に隣接している交流会館「紫紺館」で開催されました。演奏が終わり演奏会部門の私は達成感の放心状態と疲れで体が動かず、タクシーで会場へ向かったのでした。ちょっと遅れて到着したためご来賓の挨拶に間に合いませんでした。特に二代目尺八講師としてクラブの尺八指導をしていただいた青木鈴慕先生のお話しを聞けなかったのは残念でした。

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受付で会費を払い記念誌を受け取ります。OB会長の小菅さん揮毫の「絆」の金文字が鮮やかに目に入ります。
内扉には懐かしいお茶の水校舎の記念館の写真に大学校歌が印刷されております。各代の幹事長の談話と昔のアルバムは長い三曲の歴史を如実に物語っておりました。


記念品の贈呈や祝辞など一通り行事が済んで、さあ乾杯です。昔話とお互いの近況、先生先輩への挨拶で話し声が渦を巻き、落ち着いて酒を飲んでいる暇がありません。料理も食べたのかどうか未だに記憶がない!カメラのフラッシュに気が付いて自分も撮り始めますが酔いも回って来て面倒です。この時写した写真は皆ピンぼけでした……。

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さて、青木先生へご挨拶にと思って見渡すと初期のOB達に囲まれうれしそうに談笑しています。

大学を終えた後就職せず尺八の専門家になるべく青木先生の門下に入ったのは昭和54年の春でした。
厳しい稽古としつけは今もって自身の邦楽界で生きる際の糧となっております。
ところが諸事情により15年程前鈴慕会を退会してしまったのです。
自身の進むべき道を模索し尺八製作も生きる道として決め始めた時期で大いなる決断でした。
その後一度もお会いしておらずこの日が15年ぶり再会となりました。
しかしなかなか言葉は出てきませんね。「ご無沙汰しております、船明です」「おー君か変わらないね」と言葉を交わしたかどうかのうちに、割って入って来た別の先輩に話を持っていかれてしまいました。そしてそのままお話し出来ず先生は途中で帰られました。うーんちょっと残念。
しかし、その昔厳しい稽古と歯に衣着せぬ批判で邦楽界のご意見番として恐れられた?頃から見ると柔和な顔で昔話に聞き入る先生の後ろ姿はちょっと寂しい!

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宴は大学校歌を皆で肩を組み大合唱するフィナーレを迎え、岩橋さんの「フレーフレー明治、フレーフレー三曲」のエールで幕を閉じました。そして解散という訳にはいきませんでそれぞれの代でグループが出来、2次会の場所を探してお茶の水駅近辺へ散って行きました。
我々も近い代の先輩後輩に声をかけ、近所の焼き鳥屋へ直行!
その際に恐れ多くも金津先生に声をかけた所快諾をいただき、皆で抱えるようにして店へなだれ込んだのでした。
毎度のことながら3次会までは記憶にありますが……。いやー長い1日でした。


その後7月3日に記念事業実行委員会の解散式がOB会長小菅さんのご自宅、新宿は法身寺で開催されました。

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この実行委員会のみの特別会計を清算し、各委員会より事業の結果と反省などが報告され、実行委員長の宇田川さんが総括して全てがここに終了となりました。
委員会のみの盛大な打上げが豪華料理を並べて開かれ、この時は話よりもしっかり料理を口に入れた私でありました。

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明治大学三曲研究部創部50周年記念演奏会奮闘記パート2 [明治大学三曲研究部]

平成22年6月12日(土)初夏の良く晴れ渡った土曜の午後、ここ赤坂のサントリーホールでは明治大学三曲研究部の半世紀に亘る集大成とも言える演奏会が今まさに幕を開けようとしていました。クラブを創設した宇田川さん、OB会長の小菅さんを始め初期のOBOGの方々の思いはいかばかりだったでしょうか。

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■客席はほぼ満席でした

最初は三曲研究部現役の皆さんによる「アクシス」から演奏が始まります。総勢29名という大人数で見事なハーモニーを聞かせてくれました。しかも全員暗譜!箏・三味線の暗譜はよくありますが、尺八のそれも現代曲での暗譜演奏はあまり見たことがありません。若いっていいな!

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■息の合った演奏を少しお聞き下さい

次は「千鳥の曲」です。広く参加を呼びかけて演奏から遠ざかっている人にも出演できるよう当日飛び入りも可として募集しましたがあまり集まりませんでした。やはり現役の社会人には時間の余裕が無いのかもしれません。昔は公官庁や企業にも邦楽のサークルがあり、楽しむ余裕もあったと聞きます。しかし今や野球やバレー、ホッケーなど伝統有る企業のクラブさへ閉鎖に追い込まれているご時世です。定年後しか自分の時間をたっぷり使えないのは豊かな社会と言えるのだろうか!などという憂いを吹き飛ばす元気な千鳥の演奏でした。

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50年という長い歴史の中で大きな社会現象として年号が新しくなったことがあります。天皇陛下の崩御により昭和から平成へ年号が変わり、その平成生まれの子達がちょうど大学生となっている現在、時代はどんどん進んでいきます。パソコンと携帯の時代になるなんて夢にも思いませんでした。

次は平成生まれではありませんがつい最近卒業したばかりの、まだ現役の演奏能力を維持している若手の演奏です。
出番前での緊張感などという感じは微塵もなくお祭り気分でわいわいと円陣を組み演奏を楽しんでいる雰囲気は、我々古いOBにも伝播しなんだかうきうきします。
現代邦楽「白い航跡」の美しい旋律、地唄「夕顔」のしっとりした三曲合奏、ともに息の合ったフレッシュな演奏でした。ずっと楽器を続けてくれるといいなと願わずにはいられません。
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次は中堅どころ?と若手の混合演奏「楫枕」です。私も尺八で参加しました。糸の皆さんは卒業後も先生に師事して演奏を続けており現役とはまたひと味違う重さが?ありました。
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次も混合の合奏で「飛騨によせる三つのバラード」です。創成期のOG五味さんと平成13年卒業の佐久間さんとの年齢差39歳、この間に昭和40年、昭和50年、平成5年、平成9年、平成10年と各代の人達が均等に参加し、まさに50周年の記念演奏会にふさわしい編成になっていました。それだけに合奏練習も大変だったと思います。流れるように演奏を聞かせてくれました。
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ここで10分間の休憩に入り、客席でロビーでOBOGの方々の楽しそうな話し声がこだましておりました。
休憩後「彩花物語」から後半の演奏が始まります。この演奏をした昭和43年卒業の人達は仲が良く「赤坂邦楽の会」というグループを結成し、毎年発表会を開催して演奏を楽しんでいます。今回サントリーホールの予約が取れたのも赤坂の地元で活動していたこのグループの縁によるもので、演奏他記念事業の中核としてOB会を牽引していただきました。感謝感謝です。
同じ仲間で定年後までずーと演奏を楽しんで来られたその有様は範として見習いたいものです。若手の和気あいあいとは一線を画して楽屋でも舞台でも実に楽しそうでした。
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さて演奏会も佳境に入りOB会の中でも尺八をプロとして、アマチュアとして続けてきた3人による尺八三重奏「鼎」の演奏が始まりました。その輝くばかりの頭……じゃなかったハーモニーは見事でした。頑張りました。第1尺八の古屋君には身内のご不幸にもかかわらず時間を融通して参加いただきありがとうございました。彼とはこの曲を学生時代に一緒に定演で演奏して以来何度か舞台に掛けてきました。サントリーホールという最高の舞台で再度一緒に演奏出来たことはこの上ない記念となり感謝感謝です。
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さて現役、OBOGの演奏が全て終わり、いよいよ三曲研究部講師の演奏です。
箏・三絃講師の金津千重子先生は東京芸術大学卒業後すぐの昭和46年に就任されました。学生とほぼ変わらない年齢だったため、練習場所へ初めて顔を出した時は三曲部員と間違われて「君どこの学部?」と聞かれたとかエピソードを聞きました。以来40年もの長い期間を講師として学生達を指導していただきました。邦楽という地味なサークルながら最近は入部希望者が多く70名を越す大所帯になってきて、ここだけは邦楽の将来は大丈夫だと思ってしまう程活気があります。
これからも末永くご指導いただきたいとの思いで大曲「根曳の松」をカット無しで演奏していただきました。助演には弟子でもある南海佳子先生、湯井麻里子先生をお願いしました。息の合ったというより「息をのむ」演奏を堪能出来ました。
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尺八講師の佐野鈴霏先生は昭和45年卒業の明治三曲OBで現人間国宝の青木鈴慕先生に師事し三曲界の重鎮として活躍されております。
180cmを超える身長と甘いマスクで若い頃より学生に人気がありましたが還暦を過ぎた今でも現役生に聞くと格好良い先生としてその人気は不動のものだとか!
虚無僧音楽である古典本曲を1尺3寸、2尺3寸の2本を使い会場に響き渡る豪快な音色を聞かせてくれました。
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ここで次の合奏曲の舞台転換の時間を使ってOB会長小菅大徹さんの挨拶と三曲の歴史などが語られました。60年安保の年に生まれたクラブのエピソードは時代を感じさせてよい話でした。
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最後は合唱合奏曲「道灌」です。江戸城の開祖太田道灌を詠った叙事詩に箏三絃尺八打楽器を加えた宮城道雄作曲の大合奏曲で、総勢60名のフィナーレを飾るにふさわしい陣容で演奏は始まりました。
金津先生が箏独奏を受け持ち現役生が合唱を担当して舞台は楽器と人で一杯!
指揮も無しでまとまるのだろうかとの心配をよそに、見事なリズム感で終始緊張を保ち迫力のある演奏が出来ました。
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演奏終わって後片付け、OBOGの皆さんは三々五々記念式典とパーティーを開催するお茶の水の紫紺館へ向かうためホールを後にします。
だんだん人が減り、静かになっていく楽屋で一人「終わった」とつぶやきました。
良い演奏会ができました。皆さんへ感謝感謝…………。





明治大学三曲研究部創部50周年記念演奏会奮闘記パート1 [明治大学三曲研究部]

6月12日(土)1年もの準備期間を経て明治大学三曲研究部創部50周年記念演奏会が開催されました。
50周年という長い月日を先輩から後輩へ受け継がれて来たこの邦楽クラブの伝統が一つの区切りを迎えた事実を盛大に発表しようと会場をサントリーホールに決めたのが昨年の6月でした。
会場をあれこれ物色していて、明治大学の構内にも大きなホールはあるのだが,学校の行事が優先されホールの使用時期をこちらで選択出来ない弱みがあった。新宿区内の公営ホールは予約が半年前で抽選ということでこれも準備に余裕がありません。民間のホールで良い環境の所を考えていた矢先、先輩の「サントリーホール」が使えるかもしれないという一言で全てが動き始め、内容的にもかなりレベルの高いコンサートを企画出来ると確信した瞬間でもありました。
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夏も終わりの初秋9月クラブの箏・三絃講師金津千重子先生のご自宅を訪問し演奏曲目の相談をしました。「サントリーホールでの演奏など一生の内にあるかないかの大変貴重な経験だからなるべく多くのOBOG現役を出演させましょう!」と曲目選定よりも教え子達への声かけに熱心に取り組んでいただいたのは助かりました。このことがこんなにも多くの人が舞台に乗る演奏会になるとは夢にも思いませんでした。

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■金津先生と助演の南海佳子先生、湯井麻里子先生(奥の二人)

トリの全員合奏曲を「道灌」参加者募集曲を「千鳥の曲」と決め、卒業後も継続して楽器を演奏しているOBOGでそれぞれペアを組み6曲程集まりました。これに現役の曲、各講師の演奏を加えて計11曲が演奏曲と決まりました。

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■道灌三絃のレッスン

年が明けて2月より「道灌」のパート練習がスタートしました。金津先生のご自宅近くの集会所に集まり個別指導を受けたり、空き時間には各個人曲の練習が挟まれました。現役の皆さんにも合唱で参加いただき、最終的に「道灌」は60名もの大合奏になってしまいました。いやーこれは舞台に並べるだけでも大変だぞ!それでもサントリーホールの小ホール(ブルーローズ)は舞台幅が16mと長く奥行きも5mでしたので実際にはなんとか窮屈になること無く並びましたが……。

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3月,4月と合奏を重ね5月15日(土)に通しリハーサルを実施して楽器の出し入れ、並び、準備物などのチェックをし、サントリーホールの内部構造、楽屋割、タイムスケジュールなどを説明しました。

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こうしていよいよ6月12日の朝を迎えたわけです。ホールは出入りが厳重に管理されていて「入館証」を受付で渡され、首からぶら下げて会場内を動き回ります。
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■三絃の調弦や演奏の助言を澤村裕司先生にお願いしました

ホールは当日しか借りてないので午前中に舞台リハーサルをすませ、午後12半より演奏開始です。演奏時間はほとんど無く、舞台上での位置決めのみになります。客席内にて箏や譜面台を組み立て調弦して舞台に上げ、終わったら次の箏……目の回るような忙しさです。

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11時30分一通りリハーサルが終わって記念撮影をパチリ!
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見よスタッフも入れて総勢100人近くがこの演奏会に参加していただきました。もう後は演奏を始めるだけです。準備としてはここが終着点。ほっとしたのか急に体が重たくなって開演前の30分は眠いこと眠いこと……。
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客席には撮影スタッフ、受付にもスタッフが陣取り準備は整いました。お客様が順次入り始めた頃、楽屋ではお弁当を広げてしばしの昼食タイム。さて本番が始まります。
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三曲研究部創部50周年記念演奏会のお知らせ [明治大学三曲研究部]

明治大学三曲研究部は来年創部50周年を迎えます。
昭和35年6月クラブ誕生以来半世紀、先輩から後輩へ連綿と受け継がれてきた邦楽器を軸とする活動が一つの節目を迎えるのです。

おそらく入部した人達のほとんどが邦楽器(箏・三味線・尺八)とは縁のない生活を送り、見たことも触ったことも無い人達でしたでしょう。そして4年間のクラブ活動を通じて邦楽器に精通し、演奏出来るようになって卒業して行きました。日本全国の大学には同じようなクラブがあり、同じように歴史を重ねて多くのOBOGを送り出してきたことでしょう。私のようにその後の人生の仕事にしてしまった人も多く見られます。そういう意味では大学の邦楽クラブは戦後の邦楽界の底辺拡大に多いに貢献してきたと言えます。
そういう大学のクラブの中でも明治大学は「地唄の明治」といわれるほど古典を中心に活動を重ね、いまや関東の大学の中でもその実力は屈指のものと評されるまでになっています。実力だけでなくクラブ内の人間関係や活動の内容が良好であったからこそ50年の歳月を続けることが出来たのでしょう。そのようなクラブに在籍していたことを誇りに思う昨今ではあります。
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そしてこの50年の締めくくりに記念行事が開催されることになり来年6月12日(土)と決まりました。開催にあたって実行委員会が今年設置され準備を重ねてきました。
明治役員会.jpg実行委員会

私は「記念演奏会」の担当として連絡や実行案作りに参加させてもらいました。会場はサントリーホールが使用出来ることになり、これはえらい事になったと参加者の募集やら演奏会の骨子やらをまとめ、尺八講師の佐野達也先生、箏・三絃講師の金津千重子先生とも相談して50周年に恥じない演奏会を目指してきました。卒業後楽器を継続して楽しんでいるOBOGは少なく、参加者の多くは卒業間もない人達に集中していますが、講師の先生との共演もあり、ご覧のような立派なチラシも出来ました。OBOGを問わず一般の多くの方々にもご来場いただけたらと願っております。

他には名簿作成部門、記念誌作成部門、会計、総合企画(記念式典)など実行委員長の宇田川さん、副委員長の竹川君(現役幹事長)のもとそれぞれに進行中です。
名簿作成では住所不明の探索より、OB会に参加したくないという人がいることに少なからず驚きを感じました。長い年月には必ずしも良好な人間関係があるとは限りませんからしょうがないですね。
記念誌ではクラブの沿革とともに各代の幹事長談話や年代ごとのエピソードを載せるとあって、懐かしい写真や話が集まっていました。私たちの代での合宿風景と合奏練習をご覧下さい。
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合奏は「三絃協奏曲」学生初演かと思われます。また、定期演奏会のサブパンフレットも出てきました。演奏についてのエピソードや研究などをまとめた分厚いものでガリ版刷りの懐かしいものです。今のパソコン全盛時代のしかも各自プリンターまで持っているなんて考えられない古き良き時代ですね。
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会計からは記念事業特別基金募集の案内が会員へ出されました。少しでもご協力いただき、記念事業を成功させましょう!
記念式典は大学交流会館である「紫紺館」で演奏会の夜開催されます。初期の講師の先生やクラブ顧問がご招待されOBOG現役が一同に会してのパーティーになる予定です。


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さて、こうした作業の中、現役の第48回定期演奏会が11月14日亀戸駅前の亀戸文化センターカメリアホールで開催されました。受付できれいな和服姿の現役生にパンフレットを受け取り席に着きます。時刻は午後3時、これから午後8時過ぎまでの長丁場になります。毎年のことながらちょっと長いですね....。でも一人一人の演奏がたっぷり聞けることは良いことかもしれません.部員の数がそれほど多く活気がある証明でもありますね。

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今回は来年の50周年記念演奏会の宣伝もありチラシを受付で配布、休憩中に委員長の宇田川さんの挨拶もありました。写真は幹事長竹川君の挨拶です。ユーモアたっぷりにクラブの紹介をしておりました。好感持てますね。
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演奏が終わって、クラブ顧問の古屋野先生、OB副会長の岩橋さんと近くの居酒屋で飲み会となりました。50周年も含めていろいろと現役の話、邦楽の話など話題は尽きず亀戸の夜は更けて行きました。


第47回定期演奏会 [明治大学三曲研究部]

昨年の話になりますが、明治大学三曲研究部の第47回定期演奏会が江東区の亀戸文化センターで開催されました。今年はどんな演奏を聞かせてくれるか楽しみでいそいそと出かけました。
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会場はこのところ連続で亀戸の文化センターを使用しています。会場内は出演者の友人や他大学の邦楽サークルの人たちでしょうか若い子達であふれております。普通の邦楽の演奏会ではこの年齢層はめったに見られません!もっともご年配の方々もちらほら散見されるのは出演者のご両親でしょうか。
明治定演①.jpg女性の尺八が近年増えてきました

パンフレットを開くと本日の演奏曲16曲がずらっと並んでおります。古典と宮城新曲が多いのは毎年のことですが、今年は現代邦楽も4曲あり均等に混ぜて演奏していたのでその都度雰囲気が変わって比較的聞きやすかったですね。3、4年生の曲はさすがに聞きごたえのある貫禄充分の演奏でした。それにしても糸方の講師金津千重子先生の指導力の賜物でしょうか、箏三絃の演奏能力の高さは明治三曲の面目躍如ですね、拍手拍手!
明治定演②.jpg五段砧:上手い!

しかし午後3時から8時30分までの演奏時間5時間半は長かった!上級生は各パート1名ずつで三曲合奏するのですから曲数が増えるのは当然ですが、もう少し曲の構成を考えて欲しいなとは思います。長い演奏時間という問題ではなく、個人個人の曲を学年順にただ聞かせているだけの演奏会になってしまって、全体を通した演奏会のテーマやそれに沿った選曲というものが無いので散漫な印象を受けるのです。
場内の雰囲気も気が散る原因ですね。曲ごとにお客さんの出入りがあるのは、友人が演奏するお目当ての曲を聞いて終わったら帰るのでしょう。親御さん達も我が子の演奏をカメラに入れようと演奏中にもかかわらず動き回ることがあってちょっと残念でした。せっかく最後に現代邦楽の大合奏があって邦楽に馴染みの無い人たちにも聞いて欲しいという思いがあるのでしょうが、残念なことにその前で帰る人の多かったこと!このような現象はおさらい会でよく見かける光景で、演奏会を聞きに来ている人たちは明治大学三曲研究部の演奏会ではなく三曲のおさらい会に出演している友人を見に来ているという意識なのだと思います。
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最後の曲:冬の一日・パート2(よくまとまった良い演奏でした)

1年生が25名も入ってこれからますます演奏曲数も増えるのか、ここらで演奏会を考え直す時期が来ているかなと思った次第、余計なお世話ですが一言申し添えます。


創部50周年記念事業役員会 [明治大学三曲研究部]

10/18明治大学三曲研究部のOB会「三紫会」の役員打ち合わせがありました。
再来年が創部50周年となるため記念事業を開催するための打ち合わせのために集まったのでした。

昭和35年の創立ですからその頃のOBOGはもう60代後半になっています。さらに手元の平成17年発行の名簿にはOBOGの総数が494名を数えるという歴史を刻んできました。
OB総会は毎年開催されていますが、5年ごとに記念大会として現役OBOG合同で交流演奏会を開催してきました。今回はその記念事業開催に関する第1回目の会合です。OB会長の小菅大徹さんのご自宅法身寺に集まったのは副会長岩橋さん、OB会幹事長川久保君、そして幹事として会長と同じ頃の先輩諸氏と私、福田君合わせて13名程でした。

初回と言う事で皆さんにはいろいろと提案いただきおおまかな計画を立てて会員への連絡事項や責任者などを選任するにとどまりました。主な内容を列記します。
◯開催日時としては毎年総会が開かれる6月が有力ですが演奏会場の確保がきまってからとなります。
◯名簿の整理について、毎年のOB総会の連絡ハガキの返信率が悪くてまた集まる人も限られることに対する意見がでました。
◯交流演奏会の会場と演奏内容には積極的な意見も出ました。(公開演奏として大学周辺に居住されている人たちへの通知や小中学校への出前演奏など)
◯記念誌の作成に必要な写真の収集と編集などなど。
明治三曲打ち合わせ②.jpg打ち合わせ後の懇親会明治三曲打ち合わせ③.jpg小菅会長ごちそうさまでした

話は尽きませんのでひとまず皆さんの話を整理して、懇親会へ移行します。さらに具体的かつ積極的な話が出るのですがお酒が回るにつれ、楽器の話と仕事の話が混線していきます。皆さんお元気です。最後に校歌他を歌って幹事会はお開きとなりました。


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会長自宅の法身寺では三曲OBOGが集まって定期的に合奏会を開いています。この日は役員会の前に「春の海の」練習がありました。お時間のある方興味のある方は小菅会長までご連絡ください。
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新OB歓迎会 [明治大学三曲研究部]

2/2私の出身サークル明治大学三曲研究部のOB会が開催されました。
この時期の開催は4年生が卒業して社会に旅立ち立派な三曲研究部OBとなるよう?いわばお祝いを兼ねたOB会入会の歓迎会です。
場所はもちろん明治大学の本拠地駿河台校舎のあるお茶の水、OBや大学関係者のために建てられた「紫紺館」です。
OB会幹事として現役OBを束ね引っ張っていてくれた長井綾雄さんが昨年急逝、いつもまっさきに宴会を盛り上げてくれる主役がいないちょっと寂しい歓迎会でしたが11名の新OBは元気に我々おじさんおばさん達の話を聞いてくれました。


OB会長小菅大徹さんを囲んで

皆さんそれぞれの職場で活躍されることを祈りつつも時に三曲のことを思い出し、現役達にエールを送るとともに定期演奏会や毎年のOB総会にも顔を出してくれるように願ってやみません。そして出来れば4年間ともに汗をかいて来た楽器である箏・三味線・尺八を時に取り出し「奏でて」あげて下さい。もちろん社会人となってもどこかの社中に入って演奏を続けてくれればもっとうれしい!
かわいい新OB・OG達こちらは古いOB(念のため)

宴会の締めは明治大学校歌斉唱です。もちろん3番まで!共に肩を組み円陣を張って熱唱です。そしてここで長井さんが居れば明大応援歌や明大節ですが、ちょっと役者がおらず、はしょってエール交換「フレーフレー明治、フレーフレー三曲」新OBの吉田君のかけ声のもと手拍子で三曲研究部の発展を祈りました。

皆さんお疲れさまでした。
また会いましょう!


第46回定期演奏会 [明治大学三曲研究部]

明治大学三曲研究部の定期演奏会が12/1(土)江東区亀戸文化センター内カメリアホールにて開催され聞きにいきました。私の出身サークルですので後輩たちの熱演を楽しみにしていました。
事前に送られてくる案内状にチラシが入っていて演奏曲目が列記されています。
演奏の大半が地唄で、それも大曲、難曲が含まれており、サークルに入って初めて楽器を習った人間が2〜4年で奥伝級の曲を披露するという、本当かいな?と驚くような内容です。

三曲研究部は昭和35年(1960年)に創部され定期演奏会は今年46回目となります。三曲研究部という名前のとおり箏・三味線・尺八の三つの楽器を習得、演奏することを目的として活動しております。明治大学の演奏は三曲合奏に定評があり、他大学で流行している現代邦楽はあまり取り上げないようです。部員は現在54名(1年12名/2年17名/3年14名/4年11名)で邦楽サークルとしては大所帯ですね。ただ、尺八の人数が12名とちょっと少ないのが物足りないなあ!

さて、少し遅れて2年生の演奏から聞きました。
「比良」「遠砧」「ままの川」2年生だけの編成で箏三味線は複数で演奏しています。少し固いギクシャクした演奏です、緊張していることもあるでしょうがやはりまだ楽器を使いこなせない感じですね。尺八ガンバレ!
1回目の休憩後3年生の出番です。「春の訪れ」「夜々の星」「高麗の春」箏・三味線・尺八皆一人での演奏です。演奏レベルがぐっと上がり曲が佳境にさしかかると客席も引き込まれているのか動きが止まり舞台を見つめます。宮城曲が多いのは指導をいただく先生(金津千重子師)が宮城会の所属というせいでしょう。

菊重精峰作曲「竹紫絃明」

「竹紫絃明」現代曲が出ました、古典が続くと皆同じような曲に聞こえてきて、飽きてきますが聞きやすいメロディーと軽快なリズムで「お口直し」といったところ。尺八の石井君の歌うような演奏が良かった!「御山獅子」「昭和松竹梅」「松竹梅」「冬の曲」4年生の登場でさらにレベルアップし、セミプロ級の曲運びにうなってしまう場面もあります(しかも皆ほとんど暗譜で演奏しています)。ほとんどの子がサークルに入ってから始めたということに驚く反面、洋の東西を問わずどんなジャンルにおいても若い頃より始めたほうが上達が早いのは周知の事実ですがそれにしてもこの集中力は感動ものですねえ。

カルチャースクールのような片手間的趣味ではなく、学生邦楽は体育系の雰囲気があり1年を通してがっちりスケジュールが決まっており、毎日の練習に加えて春夏の合宿、学内演奏会、強化練習等々練習漬けの4年間が待っています。自分の頃も同じような厳しい練習があったことを思い出しながら聞き入りました。最後の曲は2年生以上26名で演奏される合奏曲「花織」です。箏、三味線、尺八各3パートに加え篠笛、打楽器まで入る大編成の現代曲です。作曲は川崎絵都夫、芸大作曲科出身で邦楽器のための作品をたくさん作曲されています。重厚な音の重なりとこれも軽快なリズムで学生らしい若さいっぱいの演奏でした。

川崎絵都夫作曲合奏曲「花織」

全体を通してコンサートというより三曲の研究発表という感が強く(悪く言うとおさらい会的)、邦楽経験が無いと楽しめない演奏会ですが、邦楽界が老齢化の一途をたどりつつあるなか頼もしい学生たちの姿でした。ですが4年間の学生生活が終わり就職してしまうと、趣味として邦楽を続けられるほど今の社会はそう甘くありませんで、ほとんどの人が止めてしまうか,再び始めるのが定年間近という現状は寂しいものがあります。事実卒業して4年くらいまでは現役との接点があるので演奏会を見に来ますが、だんだんと来なくなり今回来たOBは20歳代と我々50歳代が主でその間の代はほとんど居ませんでした。趣味として続けられない社会環境、受け入れる邦楽界の体制にも問題があるのでしょうか。

帰りに50歳代のOB達で飲み会となり、現役の一人がプロの演奏家になりたいと希望しているらしいとの話題が出て、意見を求められました。私も就職せず尺八の専門家として生きてきましたが、邦楽に限らず芸術でのプロ活動は技や表現力だけでなく、営業、経営感覚、人付き合いなどにも能力が要求される職業であり、最近は容姿までもが芸の才能とは別に必要な場合があります。安易な夢は持たない方が身のためとは言いつつ、でも若い人・才能がこの世界にどんどん入って来ても欲しいしと揺れる思いで酒のグラスを傾けておりました。



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