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三曲あさお第18回定期演奏会 演奏報告 [三曲あさお]

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三曲あさお第18回定期演奏会
11月19日(土)新百合ヶ丘駅近くの昭和音楽大学ユリホールにて三曲あさお第18回定期演奏会が開催されました。当日は横なぐりの雨が降りしきる大変な悪天候で客足が心配でしたが、うれしいことに満席に近い来場をいただき会員も気合いが入りました。
今回は「日本の歌の源流を求めて」と題しまして平安から現代までの歌の歴史を紐解きながら演奏を構成してみました。源流を求めてと何やら難しそうですが、単に古い順に曲を並べただけであまり詳しくは解説せず、邦楽を楽しく聞かせる方法はないかなと思ったわけです。
演奏風景をご覧いただきながら演奏の様子、歌の歴史をお話ししましょう。

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幕開けは「明日があるさ~上を向いて歩こうメドレー」で始まりました。歌は様々な形で歌われます。一人で,みんなで、泣いて,笑って、感動して、励まして、友達と,家族と,クラスの仲間と,地域の人達と……我々は中村八大作曲の有名な曲を邦楽器で歌ってみました。軽快なリズムにやや乗り遅れた人もいましたがそれはそれでご愛敬、一緒に演奏することが楽しいのです。

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次は「声明御詠歌と尺八本曲」です。これは東日本大震災で被災され犠牲となった方々への慰霊と鎮魂を込めて演奏しました。
日本の音楽の歴史を見ると日本古来の大和言葉として「うた」「おどり」「ふえ」「こと」「つづみ」などのような音楽用語、楽器名があったことから古来より農耕儀礼、呪術、祭礼などに歌と楽器が奏でられていたようです。その後大陸より雅楽や仏教が伝わり声明も一緒に入ってきて寺院で法要の際に歌われ始めます。独特の節回しで歌われる声明は同じ宗教的な発生源を持つ尺八音楽に影響したと思われます。そこで比叡山の天台声明のCDをバックに琴古流本曲「虚空鈴慕」を演奏しました。また、難解な漢文の声明より発展して和文、和歌で書かれた和讃つまり御詠歌へと形を変えていくと、庶民でも信仰と一緒に唱えることが出来るようになり各宗派で独自の御詠歌が出来ていきます。今回は真言宗密厳流御詠歌を会員の松戸さんを導師として有志で歌い、竹内さんの海童道道曲「山谷」を合わせて演奏しました。
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演奏をyoutubeにアップしました。
http://www.youtube.com/watch?v=_EiqHd8cEHg

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3番目は生田流地唄「夕顔」を演奏しました。大陸より伝来した雅楽は今で言えば最新の洋楽ですから、特権階級の貴族のステータスシンボルとして皆競って楽器を習得したようで、源氏物語には源氏の弾く箏に琵琶や笛で合奏する場面が描かれています。中世の混乱の中、各地の寺院に伝搬した雅楽は形を変えて進化していきました。声明と連結して平家琵琶になったり、「越天楽」という雅楽のメロディーを使って箏伴奏の歌曲が作られるようになります。箏はその後江戸時代に入って八橋検校(検校とは盲人組織の役職名)が現在の箏曲の基礎を築き、孫弟子の生田検校の時「生田流」と唱えられるようになる。生田検校は伝来した三味線と箏曲を合体させた新たな地唄を作曲し始めます。「地唄」とは上方(京阪地方)の人々が自分たちの「土地の唄」という意味で用いた名称で、江戸(東京)の人達はこれを上方唄と呼んだそうです。要するに地唄とは上方で盲人音楽家によって作曲・演奏された箏・三味線音楽の歌曲と言えるのです。この曲は源氏物語の「夕顔」の巻を歌詞にして前唄ー手事(器楽演奏)ー後唄の構成で,今回は三味線4丁と箏一面、尺八3本で演奏しました。

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4番目は山田流箏曲「さらし」です。山田流は山田検校が江戸で興した箏曲です。山田検校は関西で育った箏曲が江戸の人々の趣味に合わないことを知り、歌舞伎音楽や謡曲を参考にして語り物の色彩の濃い箏伴奏の歌曲を作曲したのです。山田検校は作曲の他楽器や箏爪の改革も行い、自作曲の楽譜出版まで手がけている。今回は深海さとみが編曲した替手箏を入れ、山田・生田両流の合同演奏という他団体では考えられない快挙を実践しました。

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休憩後の最初は「四つの小品」です。長澤勝俊作曲のいわゆる長澤節オンパレードの楽しい曲です。明治時代に入り政治経済文化みな新しい体制でのスタートを切りました。洋楽が日本に入ってきて、音楽学校も作られて邦楽も様々に進化し始めます。宮城道雄という天才演奏家・作曲家が現れ、現在でも正月になると必ず演奏される「春の海」が作曲されました。この曲は民謡の音階、箏の古典の音階を使用していますがロンド形式でまとめられた非常に明快な親しみやすい曲です。この四つの小品も沖縄民謡や雅楽、都節音階など使っている音階は従来の日本音楽なのですが,メロディーとリズムがモダンで親しみやすく合奏していても楽しいですね。三曲あさおの最強(最恐?)メンバーによる力演でした。

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三味線の撥を箏爪に持ち替えて沖縄の三線らしい音にしてみました。

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次は琴古流本曲「吾妻の曲」です。琴古流の母体となったのは、いわゆる虚無僧と呼ばれる僧体の人々が尺八を法器として修行に用い、各地に虚無僧寺を建立して活動し「普化宗」(ふけしゅう)と唱えた宗教団体です。江戸時代半ば黒沢琴古という虚無僧が全国を行脚して各お寺に伝わる修行曲を収集し36曲を制定、弟子に伝えたのが琴古流の始まりです。お経の代わりに吹いたと言われるだけに非常に精神性の強い難解な曲が多いですね。しかしその中にあってこの「吾妻の曲」他数曲はなぜか子守歌のような、祭笛のようなメロディーで構成され、「戯曲」とよばれたそうな。托鉢の際に聞いた歌や祭のメロディーが入っているのでしょう。16人の尺八の音色が朗々と会場に流れ圧巻でした。

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7番目の曲は「吉野静」筑紫歌都子作曲の箏尺八二重奏・歌曲です。筑紫歌都子は宮城道雄と同時代の女流箏曲家・作曲家です。高音で歌う歌曲が多くドラマチックで甘い楽曲が作者の特徴です。内容は源義経と白拍子静御前の悲恋を歌い、静御前が頼朝の前で舞い、詠んだ和歌が泣かせます。「しずや しず しずのおだまき くりかえし むかしをいまに なすよしもがな」三曲あさおのゴールデンコンビといわれる大和田・船明ペアの華麗なるドラマが展開されました。
youtubeアップ映像
http://www.youtube.com/watch?v=i95RbE91NGc

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さて、残り2曲となり、ここで一息。会場の皆さんと一緒に童謡唱歌を演奏かつ歌いました。歌は「さくら」「赤とんぼ」「通りゃんせ」「故郷」の4曲です。今回の演奏会で千鳥の曲後唄を歌っていただく「麻生女声合唱団」の皆様方と邦楽器の伴奏、お客様の歌声が会場いっぱいに響きわたり歌をテーマにしたコンサートはクライマックスへと移ります。

千鳥全景.jpg
最後は江戸後期に作曲された生田流の箏曲「千鳥の曲」です。今回歌をテーマに演奏曲を選考していましたが、最後に何か古典をアレンジして大合奏できないかなと思案をめぐらしていました。6月に毎年恒例の麻生音楽祭があり、私は実行委員として前年より会議に出ていました。その縁で委員長をしていたコーラスの宗いづみさんに千鳥の曲の歌をコーラスで歌っていただけるか打診してみました。驚いた様子の宋さんですが五線譜があれば可能と言うことで,早速行動開始です。先ず箏の楽譜から歌と演奏を五線譜に翻訳します。それから作曲家の川崎絵都夫先生へメールで編曲のお願いをしました。先生は10月に開催される日本音楽集団の演奏曲の作曲に忙殺されていて時間がなかなか取れない様子。楽譜が出来たのは9月末のことでした。全曲は無理なので前唄は古典そのままに生田流、山田流で歌い分けました。手事は長澤勝俊編曲を使用し、後唄のみ箏の手は原曲そのままでコーラス三重奏にし、17絃も入れた編曲がされていました。コーラスの方と打ち合わせをし、川崎先生をお迎えして初めて合奏したのは11月に入ってのことで、思えば綱渡りの冷や汗もの。50名の大合奏となりました。私、生まれて初めて指揮をしました。生来の左利きでタクトを持つ手も左手、逆の振り方で慣れてしまったのでコーラスの方々には大変見にくくご迷惑をおかけしました。しかし古典をアレンジして現代によみがえらせる今回の企画はお客様の受けも良く先ずは大成功でした!川崎線先生も会場でお聞きになられて地唄箏曲の編曲はこれからの邦楽の可能性を示唆していると納得された様子で、我々の拙い演奏にもかかわらず大変満足されておりました。
youtubeアップ映像
http://www.youtube.com/watch?v=CIgl7vkQiqA


演奏終わって振り返れば今回はテーマに沿った選曲と演奏進行がうまくかみあい、まとまった良い演奏会だった気がします。
会員の皆様のご協力、賛助いただいた麻生女声合唱団の皆様、川崎先生、ご来場いただいたお客様本当にありがとうございました。


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